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2009年2月5日(木) サールナート ( ムルガンダ・クーティ・ビハーラ ・ 州立博物館 ) [アジア]

2574077ムルガンダ・クーティ寺院(初転法輪寺・根本香積寺)は、スリランカ系の仏教寺院で、1931年にマハーボディ協会が建立したものだという。
門前でバスを降りてGateをくぐると、整備されたApproachの奥にその寺院はあった。
建物自体、それほど大きなものではないが、ブッダガヤの大塔を模した重厚な石造りの寺院で、しかし一見すると仏教寺院というよりもChurchといった趣である。

入り口で靴を脱いで中へと入ると、床が大理石張りの長方形の部屋になっており、正面の祭壇には座禅を組む金ピカのお釈迦様像が祀られていた。
そして何よりも素晴しいのは、祭壇のある前方の壁を除く3壁面いっぱいに描かれたフレスコ画である。
これは日本人の 野生司 香雪(のうす こうせつ)画伯が描かれた、お釈迦様の一代記である。

ムルガンダ・クーティ寺院が完成した後、寺院内壁にお釈迦様の一生涯をテーマとした壁画を揮毫する画家の選出を話し合う席で、アナガーリカ・ダルマパーラ尊者が、周囲の反対を押し切って、日本人画家の招聘に頑として固執し、翌年(昭和7年3月)日本人画家の桐谷洗麟氏が選定されたものの、しかし渡印直前に急死したことで、野生司香雪氏が派遣されることになった。
(アナガーリカ・ダルマパーラ(1864~1933・スリランカ)は、イギリスの植民地支配に喘ぐ祖国で、仏教復興運動を展開した建国の父と呼ばれている人物である。)
壁画の制作は、壁面の条件や材質の悪さ、熱波と雨期の湿気などの気候的悪条件等の理由により困難を極めたが、野生司が研究に研究を重ねた結果、七十数年が経った現在でも、鮮やかな色彩を見ることができた。
また、制作費用に関しても寄付やアルバイトなどでまかなったと、寺院の一角に掲げられた掲示板に書かれてあった。
制作には実に4年の歳月を要したそうだ。

2574084壁画は、お釈迦様のお誕生、降魔成道 (ごうまじょうどう)、乳粥供養、そして涅槃に至るまでの26場面から成り、Guideのジャマールさんが丁寧に解説してくれた。
20分ほど見学した後バスに戻る途中、南側の公園との境にとてもきれいなピンクの花をつけた大きな樹をみつけた。 ニッキの樹なのだそうだ。

2574364その後、サールナート州立考古博物館へと向かった。
サールナート博物館では私物のSecurity Checkが厳しいとのことで、手荷物をバスに残したまま手ぶらでの入場となった。
しかし、館内に入場する際通ったsecurity Gateでは、ピーピー鳴っても、「OK~♪」と笑顔で通してくれるし、他の外国人観光客が大きなカバンを持って入っても、「写真はダメよ~♪」と一言声をかけるだけで、思っていたよりルーズなものだった。
ちなみに入場料は、インド人5Rs(¥10)、外国人US$2(¥200) だそうだ[猫]

館内には、付近一帯の遺跡から発掘された(3世紀~12世紀)「サールナート仏」と呼称されている仏像やヒンドゥー教の神像などの所蔵品が展示されている。
正面Security Gateのすぐ奥に、インドの国章にもなっている、紀元前3世紀にアショカ王が作られた、砂岩を彫刻した獅子王柱(高さ213cm)があった。
アショカ王石柱の上部にあったものだが、イスラム勢力の破壊によって柱頭2mの所で折られた部分で、アバクス(円柱の頭部を囲む板)の上に4頭の獅子(ライオン)が背中合わせに座っている。
わずかな破損は見られるものの、滑らかな曲線で彫り込まれ、美しく磨き上げられたその四頭の獅子は、雄々しくも穏やかに四方を見つめているように見えた。
この獅子は、力と勇気と自信を表し、蓮華の上のアバクスに彫られた4頭の動物は方角の守護神で、ライオンは北、象は東、馬は南、雄牛は西を表わしているとのこと。
また、アバクスの下には、サッティヤメヴァ・ジャヤテ(真実のみが勝つ)という言葉が記されているらしい。(気づかなかった…(^^ゞ)

このCentral Hallより北(左)のExhibitionが仏教美術、南(右)のExhibitionにはヒンドゥー教系美術の出土品が展示されていて、私たちは左手の方へと案内された。
その一番奥の部屋の正面に、ここサールナート考古博物館のMAINとなる、グプタ朝時代(5世紀頃)に作られたという「転法輪印坐像」があった。
サールナ-ト遺跡から出土したこの石仏は、お釈迦様の初転法輪を描写したもので、インドで最も美しいと称えられる傑作品なのだそうだ。
Memberは食い入るように見ながら、そのふくよかな体つきと堀の深い顔立ちのお釈迦様には「違和感があるわね~」、「見慣れないから…」、などと口にしていた。
私は、穏やかで柔和なお顔立ちに、静寂と強硬をにじませた外柔内剛のこのお釈迦様像の方のが、日本でよく目にする細身で無表情の仏像よりも、人間的でより、より身近な存在だと感じた。
このお釈迦様、鼻や指先が少し欠けているが、これもイスラム教徒の横暴によるものだという。(「罰当たりな!」[ちっ(怒った顔)]と思った。)
また、足元の台座には中央の法輪を挟んで、右に三人、左に二人の五比丘と、(説明を聞き逃した[ふらふら])母子、それに鹿野苑を表現した2頭の鹿が彫刻がされていた。

時間が許すなら、もっとず~っと見ていたかったが、残念ながら主要な展示品のみの見学でTime OUT![もうやだ~(悲しい顔)]
(内緒話[耳] … 館内は写真撮影禁止だが、噂では、賄賂を渡せばOKなのだとか・・・)

[メモ]追記 : 原始仏教においては宗教的側面よりも哲学的側面の方が強かった為、尊像を造って祀るという習慣はなく、また初期仏教においても仏像は存在しなかった。
仏像の出現はお釈迦様入滅後500年以上経ってから(1世紀頃)、西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラーの2つの地域で発祥されたと言われている。
ここサールナート博物館に展示されているものは、いずれもガンダーラ様式ではなくマトゥラー様式なのだそうだ。
グプタ朝以前はギリシア文化の影響が強くガンダーラ美術が主流だったが、グプタ朝時代(5世紀頃)以降、純インド的な仏教美術としてマトゥラー様式に代わり、「グプタ仏」、「グプタ様式」と呼ばれる仏像が作られた。
グプタ様式(仏)の特徴は、薄い衣に肉体の曲線を露わにした表現を好み、サールナート派の仏像にはそれが顕著にみられる。

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