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2009年2月4日(水) 四日目の総括 [アジア]

ブッダガヤから250km、6時間弱のDriveでヴァーラーナスィに到着したが、ここでスケジュールの変更があり、明日行く予定になっていたシルク工場でバスは停まった。P.M.5:50 
工場と言っても、手動の機織が2,3機置いてあるだけの小さな店で、工場見学には10分も要しなかったが、Shopには1時間も足止めされた。
ヴァーラーナスィのシルク(バラナシシルク)は有名で、少しは興味があったものの、この店の店員の態度がすごく悪くて、まったく買う気が失せてしまい、Memberが楽しそうにshoppingをしている中、居場所の無い私にはとても疲れる時間となってしまった。
同室のMRさんも店員の態度にはご立腹で、買い物をしない4,5人のMemberにはとても退屈な時間であったが、お買い物Groupにとっては楽しい時間となった。

シルク店とは目と鼻の先にある本日のお宿、クラーク・ベナレス Hotelに到着したのは、既に7時を回っていて、バスから直接Hotel内の夕食会場へと案内された。
昼食を抜いたMRさんが夕食も辞退されたのでますます心配になったが、まずは自分の腹ごしらえをした。
夕食が終わって各自部屋に戻ろうと席を立ちRestaurantの出口に向かうと、そこでMemberの数人が何やら騒いでいた。
MK先生の手荷物がなくなったと言うのだ。
私たちはバスを降りてから直接このRestaurantへと案内されたので、各自貴重品以外の手荷物は、指示されるままにこのRestaurantの出入り口の脇へと置いた。
しかし、Member全員の手荷物を一つにまとめて置いたはずなのに、いつの間にか二箇所に分けて置かれており、なおかつMK先生の荷物だけなくなってしまったというのだ。
MK先生は、「自分は絶対にここに置いた」と言って青い顔をしておられた。
数人で手分けをして探したがMK先生の荷物は見つからず、IKさんが気遣うつもりで、「バスの中も見てきてもらいましょうか」と声をかけたのだが、MK先生は、「僕がここに置いたと言っているのに、君はそれを疑うのか!」と強く言い返され、憤慨されてしまった。
私は手もでず声もかけられず、部屋で休まれているMRさんの体調も気になっていたので、失礼ながらその場を後にした。

部屋へ入ると、思っていたよりMRさんの顔色はよかったので安心した。
でも、MK先生の事件を報告をすると、「みんな疲れてきてるね~」と言ったMRさんだったが、私が洗面所から出てきた時には、(アッ!という間に)MRさんからは寝息がたっており、寝ている彼女に、「MRさんが一番疲れてるね~」と声をかけて、私は一人静かに就寝準備を始めた。

ベッドに入ってからS先生の本を読むと、今日、私たちがバスで走ってきた道を、お釈迦様は何日もかけて歩いて行かれたのだと書いてあった。
ブッダガヤの菩提樹の下で成道されたお釈迦様が、かつて共に苦行に励んだ五人の比丘らにこの法を説こうとブッダガヤを旅立たれ、その比丘らが住むサールナート(ヴァーラーナスィの北隣り)へむけて一人歩かれた旅路であると。
今日、目にしてきた風景が脳裏によみがえる。
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水辺から遠い大地には草木も生えぬ荒涼とした風景が喉の渇きを誘い、
緑広がる田園地帯では青々とした新芽が乾いた風を受けてなびき、
どこまでも広がるカラシ菜畑には黄色の花が色鮮やかに咲き乱れている。
国道沿いのササラム、モハニア、チャンダウリなどの小さな町で暮らす人々は、足速く行き交う車とは別の時間を過ごしているかのようにのんびりと時を過ごす。
その傍らで、行き倒れたヤギや牛の死骸をついばむ生き物たちが、今を必死で生きていた。
お釈迦様が歩かれた道は…、 
お釈迦様が目にされたものは…、 
お釈迦様がお感じになったことは…、
そんなことを自分勝手に思い描きながらベッドに横たわっていたら、鼻がツーーーンとした。
「ヤバい、また鼻血だ[exclamation]」  慌てて洗面所に駆け込む。
あ~あ・・・・・   “お釈迦様と私” な~んてテーマで、ゆっくりと、自分を見つめる時間なんてありゃしない!!![ふらふら]

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2009年2月4日(水) ブッダガヤ → ヴァーラーナスィ(ベナレス) [アジア]

A.M.11:10 Sujata Hotelに戻り、早めのLaunch time。
昨日までガッツリ食べていたMRさんが体調不良のため昼食を抜いたのが心配・・・
インド初日に患った腰痛をこらえての今朝のジープが、かなりしんどかったみたい・・・
出発前に、このHotelの名物にいちゃん(大阪弁のインド人)から、Hotel直営のインド料理レストランが京都にあるとの宣伝を受けたMK先生が、そのチラシ(割引券)をもらったと言って私にもくださったので、チョットだけ紹介。
京都三条通のタカセビル2Fにある [レストラン]INDIAN RESTAURANT Sujata さんだ。

P.M.12:00 ブッダガヤを後に、(日本名で)ベナレスへと向かう。
正式には、Varanasi ・ ヴァーラーナスィなのだが、イギリスの植民地時代に、間違った英語表記によって誤読され「ベナレス」と日本では言っているが、実際にはそのような地名は存在しない。

256869230分ほど走って、インド入りしてから初めて見る、片側二車線の整備された道路に入る。 
国道2号線(Highway)である。
東はウェストベンガル州のカルカッタからインドの首都デリーまでを結ぶ全長約1,500kmのHighwayだ。
しばらく走った所で、R2、ヴァーラーナスィまで228kmと書かれた標識を発見。 今日は、Long Drive だ。

そのHighwayを20分ほど走った所に、初めてInterChangeらしきGateを発見。
高速道路と言っても、日本の有料道路のようにINからOUTまで途中乗降不可で、距離によって算出された料金を支払うというのではなく、通行途中にある関所を通過する度に料金を支払うのだそうだ。
Driverさんが料金所のおじさんに通行料を支払うと、その前方で待機しているもう一人のおじさんがDriverさんより差し出された小さな用紙(免許証かな~?)を確認して、OKだったらそのおじさんが手動でGateをガラガラガラ~と動かして開ける。
とてものどかでシンプルなシステムだ。

それにしてもインドのHighwayというのは、ここら辺りだけなのかもしれないが、とてものどかだ。
田園地帯の中を走るから‘のどか’と言うのではなく、この道路自体がおそろしく‘のどか’なのである。
日本の高速道路では考えられないが、インドのHighwayには農道との交差点もあるし、側道には民家も商店もある生活道路の一部として存在している。
だからHighwayと言えども、自転車も走っているし、人も横断するし、ヤギやヒツジの群れも歩いている。
牛なんかはHighwayをのんびりと横切って、中央分離帯の上で食事(草)をしていたりもする。
その中央分離帯では、燃料となる牛のウンコが日干されていたり、時々、人間様も日向ぼっこか、お昼寝などをしていたりと、日本では国道と言えどもこのようなのどかな幹線道路はお目にかかれないだろう。

2568703一番驚くのは ← この写真のような状況が頻繁に起こることだ。
[目] おわかりだろうか?
インドは日本と同様、車は左側通行で、この高速道路は片側二車線(計四車線)の道路であるにもかかわらず、当たり前のように右側通行をする車が多い。
ごく自然な光景なのだそうだ。

私たちが乗っているこのバスも例外ではなく、時々右側通行をしては私たちにそのスリルを味合わせてくれる。[わーい(嬉しい顔)]
右側通行の逆走をしながら、前方の車に追い越しをかける時なんか、正面衝突寸前のドラマを見せてくれるが、これはのどかな風景とは言えないな~ぁ。
でも、Guideのジャマールさんの話しによると、決して譲り合わないくせに、事故は少ないそうだ。

ブッダガヤのHotelを出発してから3時間、二度目のトイレ休憩に立ち寄ったShopで、チャイとクッキーのTea Time 。  I’m Happy [揺れるハート]

更に1時間近く走った所でビハール州からUP州(ウッタル・プラデーシュ州)へ、丸太棒のGateを手動で開けてもらっての州越え。
インドの道路行政は州や地方の力が強く、州ごと(時には郡ごと)に通行税が施行されていて、バスや輸送トラックなどの営業車は州境の検問所で越境のたびに越境税を支払わされるのだそうだ。

UP州に入ってからはやたらとトラックが多い。
それも走行しているトラックではなく、Highwayの側道の両脇に、何kmも延々とトラックが駐車してある。
その理由を聞き忘れてしまったことに、今、気付いた・・・  残念!

P.M.4:50 ヴァーラーナスィまで12kmと書かれた標識(デリーまでは809km)をくぐる頃には、西の空に傾いた太陽が赤く染まり始めていた。
P.M.5:20 ヴァーラーナスィの郊外でHighwayを下りて、バスは市街地へ入って行った。
ビハーラ州とは異なるインドの街の風景。
2568710信号機の無い交差点になだれ込む人やバイクや車の群集、 今にも崩れ落ちそうな古い建物が互いに寄りかかって林立する家々、 道沿いのゴミの山と立ち並ぶようして屋台の商店が軒を連ね、そこに群がる人々。
こんな街の中でも悠々と牛が歩き、人も車もそれをよけて前へと押し進むその風景には、ただただ圧倒されるばかりであった。
ヴァーラーナスィの街は、砂埃と排気ガスと騒音に包まれたまま、夜を迎えようとしていた。

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