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2009年2月3日(火) 三日目の総括 [アジア]

ブッタガヤ大菩提寺を参拝した後、今日の宿・スジャータHotel直営の土産物屋に連れて行かれた。
小さな店内には御念誦と木彫、それに仏画が売られていた。
今回の旅で仏像を購入したいと思っていたので、多少の興味をもって店内を見回してから、店員の一人に仏像の説明を求めた。
当たり前のことだが、ここで仏像と言ったらお釈迦様の像のことであるが、ためしに「阿弥陀仏の像はあるか」と尋ねてみると、「一つだけある」と言ってそれを見せてくれた。
それは、日本では見たことのないほど簡素なというか、ほぼ裸体に近いような薄い衣をまとっただけの立像の阿弥陀様であった。
チョット惹かれたが、値段がUS$310(¥30,000)と言われて、とても買う気にはなれなかった。
お釈迦様の像を見せてもらうと、苦行の像と、涅槃の像と、それからこれが一番のお勧めと言って成道の像を棚より取り出して見せてくれた。
私は成道の像を手にして値段を聞いてみると、US$130(¥12,000)だと言われて、これをUS$100(¥9,500)にしてもらいアッと言う間に交渉成立、購入することにした。
(もっと安くなったかもしれないが、ゴチャゴチャするのがわずらわしかった(^.^))
そこへMK先生が登場し、「ボクもそれ買ったよ! いくらで買った?」と聞かれたので、私が、「US$100(¥9,500)で買った」と答えると、MK先生はあわてて店員を呼び止めて、「ボクも同じのにしてよ~!」と依頼した。
聞いてみると、私が購入したものと同じ型・同じサイズのものを、MK先生は始め¥17,000だと言われ、値引きをした値段が¥13,000になったものの、結局、¥10,000で別のサイズの物を購入されたらしい。
ところが私がUS$100(¥9,500)で購入したと知って、店員に直訴されたのだ。
店員は快くMK先生の依頼を受けて商品の交換をし、私はMK先生からお礼まで言われて、丸く解決した。

土産物屋を出てHotelに戻ったのはP.M.6:30。
この日も入浴は大浴場(と言っても、洗い場が三つだけのとても小さなもの)にみんなで入浴して汗を流し(たつもりが、更衣室が狭過ぎて、風呂上りには汗だくになりつつも)、P.M.7:30からの食事に大急ぎで出かけた。
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この日のDinnerではやっとインド料理にめぐり合え、お釈迦様が苦行の末にスジャータより捧げられて口にされたと言う“乳粥”も食することが出来た。
味はともかく(まずくはない)、インド料理が嬉しかった![黒ハート]

今朝は早朝から霊鷲山への登山をし、七重の牢獄跡、竹林精舎、ナーランダ大学跡、そしてブッタガヤ大菩提寺の見学・参拝と、あまりに盛りだくさんのスケジュールに頭が少し混乱している。
出来ることなら、お釈迦様の ご誕生の地 → ご成道の地 → 初転法輪の地 → 王舎城からの最後の旅 → お涅槃の地 と、順序よくまわりたいと思うのだが、これは無理というもの・・・ わかっている・・・

部屋に戻ってからは洗濯をしながら、同室のMRさんといろいろな話しをした。
夜、MRさんとお話している時だけが、唯一、私らしく、自分と言うものに正直に向き合える時間であった。
MRさんはご自身の体調が思わしくないのに私を気遣ってくれて、夜、あまり眠れていない私のために、遅くまでおしゃべりに付き合ってくれた。
何気ない会話の中にも仏法って存在しているんだな~って、MRさんの話しを聞いていて改めてそう思った。
この日は、ぐっすりと眠れた。

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2009年2月3日(火) ブッダガヤ ( マハーボーディ寺 (大菩提寺) ) [アジア]

2563820本日のお宿 ブッダガヤのスジャータHotelに着いたものの、ここはトイレ休憩のみで、私たちは再びバスへと乗り込んで、数百メートル先にあるブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺)へとあわただしく向かった。
ブッダガヤの寺院前は、人やオートリクシャーでごった返していて、チョトよそ見をしただけでGroupからはぐれてしまいそうな位混み合っていた。

ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺)は、お釈迦様 成道の地であり、四大聖地の一つとなっている。 また2002年にユネスコ世界遺産に登録されている。

お釈迦様35歳の12月8日、明星輝く夜明け前のこと。
ガヤの町から南へ10kmほど下ったネーランジャヤー(尼蓮禅)河の西岸に聳えたピッパラ樹(菩提樹)の下で、お釈迦様はボーディ(菩提・悟り)を得て、ブッダ(仏陀・覚者)となられた。
これゆえに、ピッパラ樹は菩提樹(ボーディ・悟りの樹)と名付けられ、ブッダガヤ(ブッダ・仏陀が成道されたガヤの村)と名付けられたのだといわれる。
紀元前3世紀にアショーカ王がここに小さな精舎を建てたことに始まって、紀元前2世紀にはお釈迦様が座して悟りを得られた場所に金剛宝座と、その周囲には石造の欄楯(らんじゅん・柵)が巡らされ、以降、精舎の拡張・修復が繰り返されるうちに、7世紀になって菩提樹の横に大寺院が建てられたといわれている。
しかし、イスラム教徒の暴虐とインド仏教の衰退によって15世紀には廃墟と化し、現在の塔が建てられたのは、19世紀の末にミャンマーの仏教徒が大改修をしてのことだそうだ。

2563823そのブッダガヤ大菩提寺(マハーボーディー寺)の本堂である四角錐の大精堂は、高さが52mあり、その周囲は美しい装飾彫刻で飾られていた。
手持ちの資料によると、大精堂は二階建てで、一階には降魔成道の像、二階には仏立像が祀られているそうであるが、私たちは一階部分しか見学できなかった。
その大精堂の中(一階)に入ると、石壁の室内の中央奥に、全身金箔のお釈迦様の像が座したお姿で印を結んでおられた。
座禅を解かれた右手の指を地に下ろしたこの印を降魔印(触地印)と言うそうで、お釈迦様が瞑想禅定しておられた時に、誘惑をしてきた悪魔を追い払った姿を表しているとのことである。

塔内も人でごった返しており、御香の煙にむせながら、「立ち止まるな、次々と進め」と指示する係員(僧)の声に押し出され、とても心を落ち着かせる暇などなかった。

2563830人の流れにのって大精堂の外へと排出された私たちは、そのまま人波にもまれながら大塔の南側から時計回りに塔の裏手へと進んで行った。
大精堂の裏(西)に回ると、石造の欄楯に囲われたひと際大きな菩提樹が、枝を羽のように四方に広げて大地を覆っていた。
お釈迦様が成道された時にその根元に座られたという菩提樹は、5世紀頃のイスラム教による仏教弾圧によって切り落とされて既に存在しない。
しかし同じ木の枝から育った子孫を各地に移植(挿し木)し、現在の樹は、四代目スリランカのアヌラダープラにあった初代の菩提樹から育てられた、三代目のゴータマ・ブッダの菩提樹を、ここブッダガヤの大菩提寺に移植したものだそうだ。

一段と狭くなった通路に、五体倒地をする人もいて、後ろからは押されども前には進めない状態で、ようやっと菩提樹の下の金剛宝座の前までたどりついた。
ここでインドに来てから二回目のお勤めをする予定になっていたのだが、私たちの他にも読経をしているGroupあり、とりあえずは順番待ちということで菩提樹の下、金剛宝座の前で座して待機することになった。
この時、KHさんが、姉のTMさんとHKさんがいないことに気づいた。
この人ごみの中、大丈夫かと心配したが、Guideのジャマールさんたちが探しに行っている間に、一人の僧侶(タイ人かミャンマー人)が、「あなたたちの探している人は、大塔の東側にいましたよ」と声をかけてきた。
「へっ???」  私はビックリした!!!
このお坊さんっていったい何者? 
どうして私たちのMemberで迷子が出たこと知ってるの??
なんで私に教えてくれるの???
頭の中に?????が並んだまま、ホケ~としていると、迷子になった二人が笑顔で帰ってきた。
その僧侶は、「よかったね」と言わんばかりの微笑をむけて私たちの前から去って行った。
・・・・・・・ 何?  今の・・・・・・・?   なんか素敵 ・・・・・・・!

私が不思議な僧侶の感動に浸っているその横で、Groupの面々のイライラはつのっていった。
なぜならば、読経の順番待ちをしている私たちの視線をものともせず、「なむあみだ~♪」と踊りながら称えている日本人Groupのお勤めが、いつまでたっても終わらないからだ。
両手をお花の形にして空高く差し出し、ひらひらひら~と引っ込めては深々と両手をついてお辞儀をしながら「なむあみだ~♪」とひたすらに称え続けて、5分、10分、15分と過ぎてゆく。
今度こそ最後の「なむあみだ~♪」か? と願いながら聞いているのだが、いつまでたっても終わらない。
もう、日が暮れ始めている。
S先生が、「これ以上は待てません。 隣りでお勤め始めさせてもらいましょう」と言って、私たちの読経が始まった。
隣りではまだ、「なむあみだ~♪」ひらひらひら~が続いているので、私たちMemberはいつもより声をはりあげて、隣りに負けじとお勤めをした。
「こんな読経で意味あるのか?」と思いながも、大声でお勤めを済ませると、ほぼ同時に隣のお勤めも終了した。

お勤めの後、菩提樹の下にある金剛宝座と呼ばれる長方形の石版を拝観した。
この石版(縦143㎝・横238㎝・厚さ13.5㎝)、以前は直接手で触れることも出来たそうなのだが、オウム真理教の麻原彰晃が、自分も悟りを開くのだと言ってこの金剛宝座に座り込み地元住民に引き摺り下ろされるという事件をおこして以来、このような鉄格子で覆われて、現在は手で触れるどころか、間近で見ることすら叶わなくなってしまったのだ。

大精堂の北側に回ると、お釈迦様が成道された直後に菩提樹のもとを離れて、7日ごとに場所を変えては悟りの境地をお楽しみになり、解脱の喜びを味わいながら散策されたと伝えられる、経行所(きんひんしょ)といわれる、細長いコンクリートの台(幅1m・長さ18m・高さ1m)の上に置かれた19個の蓮華の花が一列に置いてある。(はずだが、蝋燭や聖水を置く台と敷物で覆われており、たった一つしか見ることができなかった。)
この蓮華は、お釈迦様が歩かれた足跡から一輪ずつ蓮華の花が開花したのだという伝説のもとに作られたそうだ。

大精堂を後にして、ブッダガヤの南の境内を散策していると、アショーカ王柱の周囲を人々がグルグルと周っているのを見つけた。
聞くと、この柱を一周するとお経を一つ読んだことになるのだとか。
万国共通のまやかしに私も試しに一周まわってみたが、目が回っただけだった。
この後、ムチャリンダ龍王池を見学。
ムチャリンダとはお釈迦様が悟りを開かれた菩提樹の根元に住んでいた大蛇の精霊といわれ、その精霊の王・ムチャリンダ龍王は、仏陀となられたお釈迦様が瞑想している間、その身を呈してお釈迦様を守られたのだとか…。

外灯の灯りはじめた境内には、まだたくさんの巡礼者が行きかっていたが、私たちは大菩提寺を後にHotelへと向かった。

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