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2009年1月31日(土) 関空へ [アジア]

昨夜は久しぶりの大雨で今日の出発を少々心配していたが、目覚めてみれば日差しの温かい穏やかな朝を向かえることが出来た。
今日は、午前中の所用にことごとく振り回されたが、何とか出発準備も整って、正午少し前に家を出る。
新幹線の駅までは車で15分、夫に送ってもらった。
車から降りる時、「改札口で見送ってよ」と夫にわがままを言ってみる。
しぶしぶながらも付き合ってくれる夫・・・
窓口で乗車チケットを購入する際、駅員の手違いで高額請求をされて取り消し更正作業に手間取る。
「やっぱり今日は他人の失敗に、ことごとく付き合わされるな~ぁ」と被害者気分でため息をつく・・・
改札口で夫と別れる際、「今後の付き合いのことも考えて、団体行動を乱さないようにね!」と声をかけられ、「私ってそんなにヤバい人物か?」と、心の中で反問しながらも、「それじゃ~行ってくるね! 家事、頑張ってね!」と言って一人ホームに向かう。

名古屋発のこだまは人もまばらで余裕で座れた。
車窓から見る風景は、いつも乗っている在来線から見る景色と何も変わらないはずなのに、今日は全く違って見えるのは何故だろう・・・
そんなことを考えながらも、フッと昔の記憶がよみがえる。
今は亡き母と、初めて二人で新幹線に乗って旅をした、あの日のひとコマが鮮明に思い出されて、母の声が聞こえたような気がした。
もう30年近くも昔のことなのに・・・
思えば、私がこうしてインドへ行くことになったのは、母の死がきっかけであったなぁと、感慨深く思い起こされた。
車窓から眺める風景、 空・山・川・街・車・人・・・・・  当たり前に見慣れたものたち・・・・・
当たり前だと思って目にしているものたちの一刹那をフッと感じて、「もう、二度と見ることの出来ない一瞬なのだな~ぁ・・・」と、少し、もの寂しい気持ちになった。
最後、最後、これが最後と思いながら一つ一つの一瞬の風景を見ていると、そのすべてが愛おしく感じられる。
しかし、それらすべてのものに、いつかは裏切られ見捨てられる自分なのだと思うと、背筋に冷たいものが走り、“諸行無常”という鐘の音が頭の中に響き渡ったような気がした。
こだまの車内で遅めの昼食をとりながら車窓に目を向ける。
冬枯れした風景が、私に何かを訴えかけているように感じた。
もうすぐ京都である。

小雨の降る京都を後に、はるかは大阪の街を走り抜けて関空に向かう。
車内はほぼ満席。
通路を挟んだ反対側の窓際の席に座る青年のイヤホンから漏れる大音量の曲の音が車内に響き渡り、誰もがしかめっ面をしながら彼に非難の視線を浴びせているが、誰一人として直接彼を咎める者はいない。
私も、イライラしながらも何も言えない一人である。
ただ心の中で彼を罵倒し、ののしり続けて被害者面をしている卑怯な輩だ・・・
関空へと続く鉄橋に差し掛かると、西の空にかかった分厚い雲の割れ間から、黄金色の夕日が線を描いて地に降り注いでいた。
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PM.4:30 関西空港駅着。 
ホテルでCheck Inを済ませた後、部屋でコーヒーをいただいてから、Terminalの方へ散歩に出かけた。
人もまばらで閑散としているTerminalにてWindow Shoppingをした後、Restaurantにて夕食を済ませてから、Hotelに戻る途中のコンビニに立ち寄ったところで携帯がなった。
同じHotelに前泊する予定になっていたTMさんからで、そのTMさんのお誘いに甘えて、TMさん姉弟の部屋へ遊びに伺うことになった。
そのコンビニで、ジュースとロールケーキを購入してTMさん姉弟の部屋を訪問するも、テーブルの上にはタコ焼きとビールが用意されており、とても「ジュースをどうぞ」とは言えずに、ロールケーキだけを遠慮気に差し出した。
初めの内は何気ない会話で、自己紹介も兼ねて今回の旅行に対する想いなどを語り合っていたが、しばらくして後、TMさんの携帯に息子のKYさんから電話が入った。
TMさんよりKYさんからの電話をまわしてもらった時、KYさんより、「出発前に、TMさんとKHさんから、ちゃんと聞かせてもらってね!」と言われて、改めて今回の旅行が聞法旅行であることを再確認させられた。

それからはKHさんの話しも仏法に変わり、「浄土真宗の教えは、他宗のように上や外にあるものに手を伸ばす教えではなく、自分の内にある、その腹底を見させていただく教えである」ということからはじまって、聴聞の基本などをKHさんのなりの言葉で説いて下さった。
そして、浄土真宗では「聞く」ことが大事だと教えるが、いったい何を聞くのか?
それは、“地獄しか行きようのない自分の値打ち”というものを聞かせてもらうのであるということ教えて下さった。
“自分の値打ち”
それは、お釈迦様の口を借りて阿弥陀様が説かれた四十八願より“唯除されている私”というものを聞くのであって、これは、聞かせてもらわねばわからない、気付けない教えだからこそ、これを聞かせてもらうのだと・・・・・
また、“地獄”とは “自業苦”のことであり、自分の業(行い)によって自らが苦しむという大宇宙の真理(法)であるということも教えていただいた。
これは裏を返せば、“苦しむ”と言う結果を受けているということは、悪業ばかりを造っているということが言える。
では、何が“一番の悪”なのかを、お釈迦様はこう説いておられる。
「悪いとわかってやる悪よりも、悪を悪とも知らずにやっている罪が一番の悪であり、罪を罪と知らずに造る悪こそ、最も重い悪であり罪である」と・・・・・
私が成すこと全てが地獄行きのタネ、自業苦という因果の道理、大宇宙の真理を知らないことこそが大罪であるのだということをKHさんはお話しして下さった。
そして最後に、『大経』に説かれてある四十八願は、どう考えても人間の知恵で説ける内容ではない、それだけでも仏の教えを信ずるに余りあることだと仰った。

インド・ネパールより帰国 [アジア]

昨日、インド・ネパールよりバンコクを経由して無事に帰国しました。
かなりハードなスケジュール故に、旅行中には日記をつけている暇は無く、写真を見ながら記憶を辿って、この旅を振り返ってみようと思う。
旅行中に撮ってきた写真の総枚数は、2,400枚を超えているので、その整理だけでも時間を要しそうだ。
S先生が、旅行前に作ってくださったガイドブックは、とてもわかりやすく巡礼先の説明がなされており、これを参考にさせていただきながら、ボチボチと旅ブログをまとめてみよう。[晴れ]

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