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こんな年末 [心]

銀行に勤めていた頃は、とにかくよく働いた。
仕事も、家事も、年末は殊に忙しく、元来完璧主義であった為、手抜きなどは考えたこともなかった。
結婚した当初は、仕事納めの30日の業務を終えると、24時間営業のスーパーに立ち寄っておせち料理の食材を購入し、帰宅してからはその下ごしらえを始めて、わずかばかりの仮眠の後、翌31日は早朝から三軒分のおせち料理を作る。 まさに時間との戦いであった。
大晦日の夕刻には、往復三時間をかけて実家で一人暮らしをしている病床の母と、別宅に住む父の元にそれぞれ作ったばかりのおせち料理を届け、帰宅してからは、翌正月からの来客に備えての準備を始める。
床につけるのは元日の深夜二時過ぎであった。
翌朝元日からは、泊まり込みで帰省してくる夫の兄弟家族の世話に明け暮れ、二日、三日と親戚の接待に追われて、休むまもなく一月四日からは銀行業務が始まる。
その殺気立った忙しさから逃げ出そうとは思わなかったし、楽しみながらやっていたところもあった。
でも、今は違う・・・・・
今年は、大掃除にも手を抜き、おせち料理も黒豆や金とんなど出来合いのものを購入した。
なぜ???
このやる気のなさの原因はいったい何なのだろう・・・
仕事を辞めたから? それとも母の死? 違う!違う! それはもう四年も前のこと。
じゃ~、どうしてこんなにも変ってしまったのだろうか?

思い当たる原因はただ一つ。 一ヶ月ほど前の、あの時からだ・・・・・
「自分が自分である為に、自身が無意識の内に作り続けてきた“善人面”という仮面の存在を認て、本当の自分というものと、しっかりと向き合うことが大切」とYu氏は言った。
私は、そんなことは知りたくないし、認める必要もない… と、突っぱねてみたものの、薄々と気付いていた。
私はいつだって、「楽がしたい、ラクした~い」という気持ちを罪と戒めて、そんな心は見ないようにと目をそらして生きてきた。
しかし、よくよく考えてみたならば、今までこうして頑張って来れたのも、結局は「人から良く思われたい」という私自身の欲望を満たす為であり、単なる自己満足に過ぎない。
どんなに仕事を充実させても、どれだけ家事を頑張っても、どれほど自分を磨いても、いったい何になるというのか・・・・・
ドス黒い内面を無視して、外面を嘘で固めることに一生懸命になっている私というヤツの正体は、いったい何なのだろう・・・・・
そんなことを考え始めて一ヶ月。
いくら 頑張って 頑張って自己投資したところで、所詮、私も含めてこの世のものはすべて無常だと聞かせてもらっている・・・・・
そうだ、私自身もいつかは死にゆく身なのだ・・・・・
必ず、間違く、今夜とも知れぬ未来に、私というものの存在はなくなってしまうのだ・・・・・
「精一杯生きることに意味がある」という人があるが、いったいどんな意味があるというのか?
「生きていることがすばらしいんだ」という人があるが、何がどのようにすばらしいというのか?
どれだけきれいな単語を並べようとも、どんな言葉で誤魔化したところで、「一切皆苦」・「諸行無常」の教えの下に太刀打ち出来るものなどないのではないだろうか・・・・・

そう思ったら、まったくヤル気が無くなってしまった・・・・・
言い訳にしかすぎないけど・・・  こんな年末を迎えるのは初体験だ。

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record [心]

ブログの御引越し
年始からにしようとも思ったが、何となく今日からにした。
以前のブログはカッコつけすぎててカッコ悪かったから、ここでは静かに、自分の心を正直に見つめて、それを記録をすることで、“私”というモノを知る手がかりにしたいと思う。
その“心”とは・・・
表面上の心(他人の目を気にしながら、自らが意識的に作り上げた私の心)ではなくて、
内面的な心(決して口外の出来ない醜い心)を真正面から見るつもりで、書き記していきたい。
文字にしながら自分を見つめる・・・
それが、今の私にできる唯一だと思うから・・・
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