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出遇い 井上さんと 鮨Bar [法座・座談]

井上さんが次に連れて行ってくださったのは、Caféの近くにあったお寿司屋さんで、ここでも井上さんから、「30分だけだよ」 との前置きがあった上で入店した。
そしてお寿司をいただきながら今度はYuさんも交えて三人でいろいろなお話しをした。
聞いているのがもったいなく思える話しもあれば、 へぇ~、そ~なの?! っていう面白い話しもあって、食べ物に目の無い私が、目の前に出されたお寿司を忘れてしまうほどに井上さんのお話しに夢中になった。

お話しをしている中で 強く 強く 感じたのは、‘御法のつながり’ というもの。
以前、S先生が教えてくださった、‘連続無窮のお働き’ というのを思い出した。
この私一人に聞かすため、Yuさんを始め、たっくさんの先輩同行、そして善知識がいてくださって、その善知識や先輩同行を聞かすためにも、やはりたっくさんの善知識や先輩同行がいて・・・
簡単に図形化すれば、私 → Yuさん達 → 井上さん達 → 田中さん達 → 田中お母さん達 → G先生 → KOZEN先生 →→→ 蓮如上人 → 親鸞聖人 → 七高僧 → お釈迦さま と…。
本来なら 決して 決して 一本の線にはなろうはずがないのだけれど、このように、この私一人に、これ一つを聞かすために、いったいどれだけの 長く 広い つながり、ご苦労があったのだろう… ということを、井上さんとYuさんのお話しを聞いていて今までになく具体的に感じさせていただけたように思う。

Yuさんの師匠は井上さん、その井上さんのお師匠さんである田中さんとおっしゃる方のお話しをたくさん聞かせていただいた。
お二人は、田中さんのことを‘閻魔大王’だと言われた。 隠し事など一切できず、すべてを見通されてしまうのだとか・・・σ(^_^;)!  そして、その上で言われる一言が、とってもキツイらいし~(^∧^)
「人を見通せる能力?」  いったいどんな人なのだろう・・・、  とても興味が湧いた。
そして、井上さんご自身も、そんな能力を秘めているのだそうだ。

井上さんとは今回初めてお会いしたわけだけど、先ほどのCafé Barでの、たった1時間足らずの会話の中に、私が自らの言葉で語る以前から、井上さんには私の過去とか、私が抱えている悩み、それに私自身が気付いていない私の問題点などが、サラリッと、何気なく話しの中に織り込まれていた。
井上さんから断定的に言われることなど何一つない。
でも、「どうしてそんなことを知っているの?」と問うよりも、「もしかしなくても、すべてバレてる?」ということを感じるのに不足はなかった。
井上さんとお会いして、始めのうちこそイイ格好氏の私が前衛に立ちはだかっていたものの、「私の根性は見通されている…」 というとろに腹が据わってくると、私の中には開き直りの気持ちが生まれて来た。
「バレる恥ずかしさ」 というものはもちろんある!
でも、それ以上に、私の知らない私までこの人は知っていてくれているんだと思うと、いつも無意識の内に分厚く重ね着をしている‘私’という着ぐるみを脱ぎ捨てて、裸で居られるような心地よさを、私は‘楽’だと感じていた。

でも、この考えは井上さんにもYuさんも否定された。
私には、「すべてを見透かされているという恐さが自覚できていない!」 というのだ。
「う~ん…、 でも、仏さまは、こんな私を隅々まで、全~部お見通しだよ!」 と言うと、「相手は仏さまじゃない! ソレとコレとは違うんだ!」  な~んだって…(^.^;)!

「30分だけね!」 と言われた時間が、アッと言う間に1時間、2時間と過ぎて行く。

井上さんのお話しが所々でわからなくなるのは、「御法の話し」と、「これは御法ではないけれど」という話と、「これは本音の所ね!」という話が、上手く自分の中で処理出来なかったからかもしれない。
とにかく、一つの言葉も聞き逃したらもったいない!なんて思ったから…、 欲張り過ぎたんだよね (^^ゞ
だけど、「忘れたくない! 心に、頭に、留めておきたい!」 と思っても、ものの見事に頭の中からあっけなく消えて行っちゃう・・・・・
でもね、井上さんの言葉って、頭じゃなくて身体の方にしみこんで行く感じがして…、 そして、ほんのちょっこと頭に残っている言葉だけで十分かなって思えた。

「そろそろ帰らなきゃならないけど…」と言われた井上さんから、「コレだけは伝えておきたい」と、最後に背を正して言われたことが、今もずっと私の心を包んでいる。

「自分のことをもっとよく知ってね。
 自分を深く見ていけば、当然嫌悪したくなる自分が見えてくる。
 でも、もっと もっと 深く自分を知ることで、自分を愛してあげることが出来るようになるはずだから。
 そして、自分を愛することが出来るようになったら、人をも愛することが出来るようになり、そうすれば、
 もっと もっと あなたは自由になるはず。 自分を解放してあげられるはず。
 自分を知るということは、自分を愛することになり、それは感謝の気持ちへとつながって行く。
 その感謝の心は、今、あなたが抱えている家族の問題をも解決してくれるだろうし、帰終するは如来
 さまへの感謝の気持ちへとつながっているのだから」
と ・・・・・・・・

井上さんの言葉は、とても不思議な響き方をした。
私は、何も言っていない…、 家族のことも…、 自分を愛せずに傷つけていることも…
私のことを私以上にわかってくれているって、すごく不思議な安心感がある。

一劫もの時間をかけて、この私を見尽くしてくださった如来さまの目には、いったいどんな私が見えているんだろう…、 そして私はどこまで深いんだろう…
これを聞かせていただく。 
それは、私を苦しめるためじゃないんだって事を、教えていただいたように思う。

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