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西光寺・報恩講  その③ [法座・座談]

西光寺さんでの報恩講法座 二日目の朝は、YZさんと二人、HOTELの喫茶室で朝食をとりながら御法か我法がわからないけど、じっくり、たっぷり、時間を忘れるほどにお話しをすることが出来た。

この時、YZさんのすがたを通して聞かせていただいたのは、「“信”は、私と私の阿弥陀さまとの問題。 それが、今ここに生きている!」 ってこと。
誰かに言われたから ど~の こ~の と言うのではないし、誰かが認めてくれたからOKと言うんでもない。
自分を抜きにして、また如来さまを見ずして、そんなことに振り回されながら私は余所見ばかりをしているのだなぁ~、 と…
それを彼にお伝えすることができる不思議と、しかしこれを伝えたとても見事にスルーされてしまったことに、重ねて自分の都合でしか聞けない私のすがたを観せていただき、同時に如来さまのご苦労を感じさせていただいた。

また、過去の体験とかその時の自分の思いとか…、過ぎて来たご縁にしがみ付いていることの虚しさみたいなものが、彼の言葉を通して私の胸をチクリと刺した。
そして、‘今’ ‘ここで’ 働いてくださっている如来さまのご苦労を聞かせていただかなければ…、という気持ちが私の中をフッと通り過ぎて行った。

HOTELからTAXIで西光寺さんへと向かい、まずはG先生のお部屋に行ってご挨拶!
そして10時より報恩講二日目の朝のお勤めが始まり、引き続いてG先生の御法話をいただく。
御法話は昨夜に引き続きG先生の求道時代のお話しから始まって、次に覚如上人が説かれた「一念帰命」のお話し、そして、誰のために造られた‘南無阿弥陀仏’かという真宗の肝要をお話ししてくださった。 

MRさんもNOさんも昨夜の内に帰られ、今日の御法話中に念仏を口に出す者は、G先生のまん前にドン座った私とYZさんの二人しかいない。
すごく浮いた存在だろう…、 そして門徒の方々にとっては邪魔で鬱陶しい存在だろう…。
それでも、今、この場に座している自分を幸せだと思える私が居て、そんな私の方に視線を向けてくださったG先生が、「幸せやなぁ~」と言って下さったことにコクリと頷きながらお念仏と遇わせていただける私って、やっぱり幸せなんだと思う。
自分の事が イヤで キライで いつも自己嫌悪ばかりしている私だけれど、今、ここの所の私は、嫌いな自分を忘れていたなぁ~ってことに後になって気が付いた…。

御法話って、言葉であって言葉ではないんじゃないかって思った。
先生のお話し(言葉)を心で感じる…。 今までは先生のお話し(心)を私の思いで撥ね返していた…。
う~ん…、 何だかよくわからないけど、 先生の話される言葉の奥にある心を聞かせていただくって、自身の計らい心を通さずに、こ~やって感じさせていただくってことなのかなぁ~って…  う~ん…、よくわからないや…(^^ゞ

午前の法座が終わって今日も昨日と同じお斎をいただく。
昼食後も飽きることなくYZさんとのお話しに花が咲く。 彼がいてくれてホントよかったって思った。

午後のお勤めはこれまた初めて見るスタイル!  ただ経を読むに留まらず立ったり座ったりの動作があったり、蓮の花びらに見立てた色紙を撒いたりと、艶やかで賑やかなものであった。

そしてこの後、午後の御法話の前半では、再びお母様のことを中心にG先生の求道時代のお話しを聞かせていただいたのだが、この時、私とYZさんの斜め前に座布団を持ってきて座られた女性が、G先生の御法話の最中に 何度も 何度も お腹を抱えてクスクスと笑っているのが気になって気になって仕方がなかった。
先生は決して笑うようなお話しをされていた訳ではないので、私とYZさんは眉間にシワを寄せながら目の前のその女性を一瞥しつつ御法話をいただくことになった。

後半は、「一水四見」のお話しをいただいた後にG先生から全員に質問が投げかけられた。
「仏教の上から言わないで、自分の考えから見た‘私’という者は、①善人、②悪人、③どちらかと言えば善人、④どちらかと言えば悪人、⑤わからない のどれに当てはまるかを、目をつむったままで挙手してください」 と…。
この結果については、①自分は善人だと思っている人は1人、②自分は悪人だと思っている人は2人、③自分はどちらかと言えば善人だと思っている人が大多数、その次に多かったのが④自分はどちらかと言えば悪人であると思うと答えた人。 そして⑤自分が悪人か善人かわからないと答えたのは2人だったそうだ。
ちなみに私は、迷いに迷った挙句、④番の「自分はどちらかと言えば悪人である」に挙手した。
いくら御法を抜きにしてと言われても、やっぱり自分は善人であるとはとても言い切れないし、しかし悪人であるとも思っていないのも事実で…、だけどどちらかと問われればやっぱり悪い自分しか思い浮かばないしなぁ~、と言うことでなんとなく④番のどちらかと言えば悪人に挙手したわけだ…。

G先生がこの質問をされた意図は、「信仰の世界には、率直に自分を考えるということが大切である」 ということを伝えたかったのだとおっしゃった。
そしてこの内容については、この後、夜の法座の時に皆さんと一緒に考えていきましょうということで昼の部の御法座は終了となった。

3428605この後YZさんはすぐに福岡へと帰ってしまわれ、私は一人ぼっちになってしまった。
こ~なると食欲すらなくなってしまう…。 その反面、すごくカラ元気が出てくるのだ…。
夜の御法座まで3時間近くもあるフリータイム。 とりあえずG通さんと一緒になって先ほどの法要で撒き散らした蓮の花びらに見立てた色紙を拾い集めたり、片付けもののお手伝いなどをしていたが、これも一段落すると本格的に暇になってしまったので、本堂で一人静かに瞑想に入ることにした。
しかし・・・・・、邪念、雑念ばかりで余計に疲れてしまい…(^.^ゞ  そんなところに総代の片山さんが登場したのでお手伝いを申し出てお内佛法要の準備に参加させていただいた。
けっこうな肉体労働でちょっと疲れちゃったけど、でも暇つぶしにはなってよかった!(^-^)v

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