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老いたるえびのうた [心]

        老いたるえびのうた     室生犀星

     けふはえびのやうに悲しい
     角(つの)やらひげやら
     とげやら一杯生やしてゐるが
     どれが悲しがってゐるのか判らない。

     ひげにたづねて見れば
     おれではないといふ。
     尖(とが)つたとげに聞いて見たら
     わしでもないといふ。
     それでは一体誰が悲しがつてゐるのか
     誰に聞いてみても
     さつぱり判らない。

     生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋(いつぴき)。
     からだぢゆうが悲しいのだ。


金沢出身の文豪、室生犀星(M.22年~S.37年)氏の 遺作 「老いたるえびのうた」は、犀星さんが 74才で亡くなる1週間前に書き残された詩である。

私は、大嘘つき者だから、自分を誤魔化すことだって大得意! だったんだけど…  でも、今はダメ・・・ 
嘘つき者の、良い格好士には違はないけど、 自分を誤魔化すことは、苦手になっちゃった・・・・・
でも…、その 悲しみ ・ 苦しみ に 耐えられず、結局は、また自分に嘘をつき続けるんだけどね…。 
そ~やって アレコレ自分を騙し、誤魔化し続けていたら、何が本当に悲しいんだか、わからなくなってきちゃった…。
「つの」が悲しいんだろうか、「ひげ」が悲しいんだろうか、「とげ」が悲しいんだろうか、本当の悲しみは、いったいどこからくるんだろうか… って…、
一つ一つのに問うてみても、「一体誰が悲しがっているのか、さっぱり判らない」って、犀星さんと同じ…

でも、犀星さんは、その答えを見つけたんだよね…、
枝葉のように 次から次へと生え伸びてくるものが、本当の悲みなんかじゃないって…
泡(アブク)のように 止めどもなく沸き上がってくるものが、本当の悲しみなんかじゃないって…
「つの」でも、「ひげ」でも、「とげ」でもない…、 コロコロと変化する私の付属品たちが悲しみの根源なんかじゃ~ ないんだって!

本当に悲しいのは、 この“私”という存在そのもの…
「生きて、たたみを這っている、えせエビ一匹   その、からだじゅうが、悲しいのだ」
人生は苦なり、 水無き畳の上で、死にとうもないが、生きとうもないと必死でモガキ続けている独りぼっちの私…  そんな“私”という存在そのものが悲しいんだ… って、 そういうことなんだよね?犀星さん…。

からだじゅうが悲しくて、 からだじゅうが苦しくて、 からだじゅうが孤独なんです…
だから自分に嘘をついて、自分を誤魔化すんです…  そうしなければ生きて行かれないから…

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