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‘感じる’ も 捨てる [随筆日記]

10月に入って秋の長雨が続いた後、台風が去ってからは秋晴れの晴天が続いている。
空も青いし、お腹も空いたし、ということで、友人との久しぶりの Launch Date
3264079行って来たのは、インド・ネパール料理の Restaurant
GITA。 スタッフは Indian。
少し日本人向けにアレンジしてある感はあるが、ま~ぁ
妥協のできる範囲で、味はまずまず!
焼きたてのプレーンナンが食べ放題というのが嬉しい!
二人で三枚も食べてしまった!(^^)v 
食事の後は Window shopping に Coffee time とお決まりのコース。

そこで、「最近、感動がないんだよね~…」と、チョット心がお疲れ気味の彼女。
この時私は、数日前にYuさんから言われた、「感じることが大事か?」という言葉を思い返して、しばし無言になる二人…。

「“死”を身近に感じても死ぬ、感じなくても死ぬ、そう言っている私が死ぬ と、聞く以外にない。 それが‘照破’。 感じるも捨てる!」
感じること自体を否定されているわけではないし、言われていることももっともだと思う。
ただ…、何故だか腰が引けてしまう・・・  どうしてだろう・・・  そんなことを考えていた。

‘感動’って、何…?  彼女の求めている ‘感動’って、どんなもの…?  
思いっきり悲しんだり、思いっきり楽しんだり、思いっきり怒ったり・・・  そう、深く感じて心の動くことが‘感動’なんだって辞書には書いてあった…。 
でも…、 どれくらい深く?   だって…、 心底、その思いに100%なりきれることなんてないし…。
心はいつも二股だもの…。 熱くなっている私のその横に、冷え切ったもう一人の私がいる…。
そのどちらの私も私であって、そのどちらの私も 捨てモノ、捨てモノ…。

私は…、自分の感情を誤魔化すことで生きてこられた…、そんなふうに思う…。
だから私にとって、まず‘感じる’ということが「原動力」であり、その‘感じ’をコントロールすることが「生きる」ということであり、それが行動の軸になっている。
以前にも、「君は感情を大事にし過ぎ!」と言われて、やっぱり酷くへっこんでしまったことがあった。

確かに、深く感じようと、浅く感じようと、何を感じようが、どう感じようと、また、たとえ何も感じなくったって、こんな私の‘感じ’なんてもんは捨てモノに違いない。
でも、これを私は捨てられない…。

あ~ぁ…!  書き綴っていれば、また何か‘感じられること’でも出てくるかと思ったけど、やっぱり私の中からは何も出てこない…、 カラッポだ…。
最初っから無いモノだったら捨てる必要もないのにねぇ…
[ひらめき]あぁ、そっか…、 カラッポじゃないじゃん! 私の中は、私の‘感情’で間断なく埋め尽くされている。
これじゃ~、御法の入り込める隙間なんてどこにもありゃしない! だから何も吸えない、何も聞けない…。
そして、私の感情が満タンに詰まったこの肉体もろ共、全部捨てて行かねばならない世界がある…
感覚も、感動も、感情も、‘感じるモノ’全てが捨てモノ。
それじゃ~いったい何が残るの?
あぁ、あった!  私の‘感じ’を支配しているモノ、‘我’だけは残り、そして堕ちていく・・・

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