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ゴキブリだって仏さま… [心]

命…、 いのち、いのち、いのち ……  今まで、“命”について、深く考えたことなどなかった・・・・・
自身の生死について多少は思案することがあっても、己の僅かばかりの智恵を最大限に駆使して出て来る答えは、いつも いつも 「私の命は私のモノ」 という考えの基に、今生レベルで、自己中心的で、その時々の思いに大いに左右された不確定な空想物語りでしかない…
深く考えれば考えるほど、「本当に何にもわからない」 という答えに収まってしまう。
どうして生まれて来たのか…、何のために生きているのか…、そしてなぜ死ぬのか…、死んだらどうなるのか…、 それらの答えを自分の中に探しても、私の中に揺るぎのない答えなどなかった・・・・・

それがどうだろう…、 お釈迦様の教えの中には、ちゃ~んとその答えが、明確に示されている。
仏教の「ぶ」の字も知らない私が、たまたま目にした 「人身受け難し今已に受く、仏法聞き難し今已に聞く」という言葉に、意味も何もわからないままに強烈に惹き付けられて、そしていつのまにか「南無阿弥陀仏」と称えさせていただいているこの不思議…
それを今日、改めて教えていただいたように思う。

今日、夕食を作っている時、目の前を一匹のショウジョウバエが通り過ぎた。
一度目はこれを見過ごした。 
しかし、二度目に目の前で騒がれた時にはチョットばかりムッとして、
そして、三度目に料理の邪魔をされた時、思わず飛び出した私の左手は、その小さな命を握りつぶしていた。
「あ~、スッキリした!」
小さい頃から虫の命を殺すことなど極当たり前にしていたし、今だってヤツ等を生かしておくことこそが悪とばかりに殺しまくっている。
ところが仏法を聞き始めると、命の平等を教えられ、それと同時に地獄の世界を聞かされる。
これは自分にとって都合が悪い…。
それからは虫を殺しながらも口先だけでゴメンネと誤って、覚えた‘なまんだぶつ’を利用する。
ただ単に、「虫は殺しましたが、地獄には堕ちませんように!」という祈りの‘なまんだぶつ’だ。 
その心根は、「私の前に現われるからいかんのだ! あ~ぁ! 私に殺生をさせたお前が悪い!」 と…。

ショウジョウバエを殺して、「あぁ…、頭で思うよりも先に、平気でその命を握りつぶしたこの手こそが我が本性…」 と、少しは後ろめたい気持ちにもなったが…、  
その時、カサカサカサっと嫌な音が耳に飛び込んでくると、既にショウジョウバエのことなどすっかり忘れ去り、戦闘態勢に構える私…。
時々、隣家のゴミ屋敷から飛んでくるゴキブリが、今日も我が家に不法侵入したもよう!
案の定、ドでかいゴキブリが壁づたいの床をダッシュするのを確認して殺虫剤を噴射する!
これでもか! これでもか!というほど殺虫剤を浴びせて、「早くクタバレ! 早く死ね!」と念を込める。
こんな時には命の平等も、地獄の恐怖もカケラもない…
壁づたいに苦しそうに歩いていたゴキブリの動きがフッと止まり、死んだかな? っと思った次の瞬間、そのゴキブリが壁を背にして私の方へと向き直り、そして今にも飛びつかんばかりに体を前後させて視線で威嚇してくる。 私も負けじと止めの一噴射で応戦する。
そして 「来る!」 っと思った瞬間、 ゴキブリは仰向けにひっくり返って息絶えた…。
戦いには勝ったが、なんだか後味が悪い…。 最後のあの視線があまりにも強烈だった…。
「覚えておけ! いつか目にモノみせてやる!」と言わんばかりの最後であった…。

それと同時に、「あぁ、私は今まで何一つとして自分の力で成し得たものなどなかった…」 という思いが湧いて来た。 とても奇妙な同一感だった。

私は今まで、御法話やお同行の話しを聞きながら、あ~してみよう、こ~してみようと様々に計らって来たけれど、結局は、自身の思いの中でアレコレと思案をこねくり回すばかりで、何一つとしてその通りにしたこと・出来たことなどなかった…。
知ったとか、覚えたとか言っても、それは一時的なことで、次の瞬間にはすぐ忘れちゃうし…
だけど思い返してみると、自分では理解できず、何一つとして実践できなかったことの数々が、その数日後にはまるで仕組まれたように、この身で感じさせていただけることが何と多かったことか…
頭ではわからない、自分は何も出来ない・していない、罪悪深重、命の儚さ、孤独、そんな様々な教えをこの身で感じさせていただける出来事が、近時な未来にちゃ~んと用意されていて、私はそれらをいつだって自分の所で受け取っては、その都度放り投げてきた…

でも何だか今日は少しだけ違う。
G先生がよくお話しくださる御法に、「仏さまが無量の命となって、私どもに食べられてくださる」と教えてくださるが、「あぁ、食べ物だけじゃなかった…」 と思った。
私はショウジョウバエを殺した。 ゴキブリも殺した。 私にとって不都合な敵だったから…
でも、私はそうやって 何度も 何度も 仏さまを殺し続けてきたんだ…
仏さまは、私が食べる生き物の命だけじゃなくて、時にはショウジョウバエとなり、時にはゴキブリの命にもなって私に殺され、そして教えてくださっているんだ…
すべてが私の為に用意され、すべてを私の為に投げ出してくださっている…
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   今日もカラ念仏を称えさせていただけた。 

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