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2009夏 一人旅・回想録 4 ( 静岡駅 → 熱海駅 ) [Travel]

静岡駅を過ぎた辺りから少し退屈さを感じ、フッとあの手紙の存在を思い出してバッグより取り出した。
自身でタイプしたものでありながら自分の言葉にはあらず・・・ この私に届けられたその言葉たち。
四つに折りたたまれたその手紙を恐る恐る広げて読み始めるが、出だしの三行から先に読み進めることが出来ない…
最初の三行だけを幾度となく読み返していると不意に涙がこぼれ落ちそうになって、私は静かにその手紙を閉じた…

由比を過ぎた辺りで雨は上がり、部分的な雲の切れ間からうっすらとではあるが、日の光が地上に向かって直線を描く。
しかし、低く敷き詰められた雲によって富士山はほんの裾野辺りまでしか望むことができなかった。

あんな手紙を読んでしまったせいか、嫌なことを思い出してしまい少し気分が滅入る・・・

一週間前に参加した御法座の後、毎度恒例となっている法座明けに届くYuさんからのケチョンケチョンメール…
今回のものは、今まで以上に滅多切りのグサグサで、ボコボコに張っ倒されたあげく、ボロボロになった所で思いっきり蹴落とされて…(^^;) (ゴメンなさい、ちょっと言葉が過ぎました…(^.^ゞ)  でも、それを思い出しただけで動悸・息切れに襲われて不整脈を抑える為の頓服が必要となるほど、私にとってはかなり堪える言葉が並んでいた・・・・・・

だから私は、自分を守るために必死でそれを忘れようとした…
でも、この時の私は、そのキツイ言葉を思い出しても、多少呼吸が乱れた程度で大事には至らなかった。
それどころか、一つずつだけど、今までとは違った方向からその言葉たちと向き合うことが出来たような気がする。

この時不意に、以前、S先生が御法座でお話しくださった 「阿闍世(アジャセ)は私」 という言葉がよみがえり、そして同時にあの手紙に書かれてあった 「真の親」 という言葉と重なって、私は何かとてつもない大きな衝撃を受けた気がした。
「アジャセは私…、 私はアジャセ…、 アジャセは私…、 私はアジャセ…、 ・・・・・・」
御法座で聞かせていただいた時には、何だかぼんやりとしてよくわからなかったものが、今、まだわからないままだけど、それでもその大きさだけは感じられたような気がした。

私は自分の心を速し立てながら、 「今、気付いたならば、 今、考えなくっちゃ! 先延ばしにしたらダメ!  今、今、今、  今、ここで考えなくっちゃ!」 と、必死になって自分の中を探し始めた。
そして次第に薄れてゆく “感じ” と “思い” を必死になって追いかけている自分に気付き、
「何をやっているんだ、私は…!  過去の産物にしがみ付いてどうする…!  自分の中を探して何があるというのだ…!  バカだ・・・  バカだ、ばかだ、馬鹿だ!!!」

これで一気に疲れてしまった・・・・・・

函南(かんなみ)駅を出て丹那トンネルを抜けると、今日二度目の乗り継ぎ駅である熱海駅に到着する。
長いトンネルの中で暗闇に慣れた目は、トンネルを抜け出た先の光の世界をすぐに見ることは出来ない。
目が慣れてきた時に見えた景色は、とても穏やかな駿河の海が、はるか遠くまで続いていた。

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