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「太子講」 Part 2 [法座・座談]

懇親会の席にてG先生が一人でお酒を召し上がっておられたので、遠慮なく隣に座らせていただいた。
G先生には何度か喝をちょうだいしているので、ちょっと前までは恐くて近寄り難い存在だったけど、ある出来事をきっかけにヘンな緊張もほぐれて近寄り易くなったv(^^*)
そこでG先生に、心のままを聞いていただくことが出来た。

お話しは、私と仏法とのご縁ができた時にまで遡り、その後の聞法態度、今現在の心境に至るまで、酔いに任せて、時折はG先生からの質問に答えながらもペラペラとしゃべり続けた。
そこでG先生からいただいた言葉で一番嬉しかったのは、私の阿弥陀さまとの道は間違っていないよ! と言われたこと。
一人一人 姿や考え方が違うように、私には私に合わせた道を仏さまが用意してくださっている。
「大丈夫! その道を仏さまと一緒に歩いて行こうな。 そうやって聞かせてもらっていこうな。」 と G先生に言っていただいて、ポツリと口から出た‘南無阿弥陀仏’は、すごく軽くて明るいものに感じられた。
私は今までお念仏をすごく重々しく考え、毎度毎回自分に理由をつけながら、その時々の心に振り回されるままに理屈をこねつつ口にしていた。
でもお念仏は、私が理屈をつけるずっと前から、その理屈っぽい私に腹底にあって、折に触れ縁に触れては出てきてくださるのだと聞かせていただいた。
私はお念仏を、自分の力で口から出すものだと考える以前に、まるで自分で作り上げたもののようにさえ考えていたのではないだろうか…
このことをG先生に打ち明けると、「‘南無阿弥陀仏’は他力やで。 そこに私は入っていないよ」 と。

私はG先生に、心から溢れ出るままを言葉にして聞いてもらった。
「私は後生がチッとも心にかからんし、やっぱり今生事の方が大切だと思う。 
私は阿弥陀さまの心なんて全然わからんし、聞かされてもありがた迷惑としか思えん。
何度聞かされても、どれだけ聞かされても、やっぱり私は私の気分でお念仏を塗り変えてしまう。
それでもいいの? このまんまの私でいいの?」
と言うと、G先生は私の肩をそっと抱き寄せてくださり、
「わかるか? 抱きしめられとるのわかるな? あんたが感じんでも、信じられでも、仏さまはこうやっていつも抱きしめてくれとるんやでぇ。 そのまんまのおまえでええでぇ。 あとはワシが引き受けたでぇ と言ってなさる。」
G先生の手も胸も言葉も、とてもあたたかかった。 すごく すごく あたたかかった。
そして、そのまんまの私が阿弥陀さまの正客そのもので、私が信じられんでも、私がどれだけ否定しようとも、「‘私’が証拠で、‘南無阿弥陀仏’が証拠なんだ」 とお話しくださった。

これだけ聞いても、まだ何もわからない私がいた。
でも、ニョキニョキっと出てくる様々な思いを傍観しながら、証拠の‘南無阿弥陀仏’がとても軽やかに口から出て行く。
気が付くと とっても笑顔の私がそこにいて、そんな私に 「阿弥陀さまとの会話はすべて‘南無阿弥陀仏’や」 と G先生は説いてくださり 夜の懇親会はお開きとなった。

この日は疲れているはずなのに全然眠れなかった。
せっかくG先生に聞かせていただいた言葉も、猛スピードで忘れて行ってしまう。
そして‘南無阿弥陀仏’も声にならず・・・・・  孤独な夜が過ぎて行った・・・・・

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