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お盆の前に墓掃除! [随筆日記]

物理や化学の法則と言うのは、発見される以前から既にこの世に存在しうるもので、不変的な法則のもとに存在していると考えられる。
これに対して、哲学や心理学といったものには恒常的な法則はなく、その学説・倫理には発見者や学者、末は心理士に至るまで、その人個人の生活史・気質・心理状態などによって常に進化し発展してきた。
つまり、相互が生身の人間であるが故に、時(時代)や空間(国)によってそれらは常に移り変わる現在進行形の道半ばにあり、それは普遍的でありながら必ずしも法則にあてはまるものではないといえるのではないだろうか。

じゃ~仏教は?
学問的知識・研究対象としての仏教であるとか、宗教的商売としての仏教ではなく、普遍妥当性(時・空間を超えた絶対的真理)を有した仏教のこと。
これは、常識的に唯一真実の絶対的不変性を有しながら、これ自体が非常識的なものであるという真逆の二面性が… と、と、と、・・・・・

なぜ、こんな山奥にまで来て、私の頭はこんなにも小難しく働いているのだろう…

母のお墓参りを済ませ、そのついでの家族旅行(私プラス夫ひとりと四つ足のこどもふたり)で、今日は三河の山奥に来ている。
宿にした温泉旅館は矢作川上流の川岸に建ち、客室からはその川の流れを目で楽しみ、せせらぎを心地よく堪能できる Nice place 。
対岸の山並みは夏の緑をたたえ、その森のいずこから聞こえる鳥のさえずりが谷間に反響し、まぶし過ぎる夏の日差しを受けた木々たちは大きく深呼吸をしているみたいだ。

そんな景色をエアコンのきいた客室から眺めながらも、私の頭はひねり飴。

こんな時の気分転換には、誰かと他愛もない会話をするだけで頭の凝りも解れると思うのだけど、残念ながら夫もワン仔たちもお昼寝中で、私はひとり退屈な時間を自分相手に頭の中で捏ね繰り回しながら窓の外を見つめた。

仏教って何・・・・・?
な~んてことを変に理屈っぽく考えてしまうのも、「お盆」という風習と、これに関連してお墓参りなどしたせいだ…。
仏法を聞かせていただくようになってからは、トンとご無沙汰になってしまったお墓参り…。
それでも年末とお盆の前にはお墓の掃除と形式的なお墓参りを毎年の定例行事にしているが、それも人目だとか世間体といったものに後押しされての行動である。
そんな心持ちでのお墓参りなので、母の墓石の前に立てば殊更に醜くイヤらしい心が炙り出されて、まったく手を合わせる気にもなれない自分が知らされるばかり…。
そんな自分にとって都合の悪い自分を見せられたから、哲学的な屁理屈で自分の心を覆い隠そうとしているのかもしれない・・・・・   な~んて自己分析をしている自分も、やっぱりお馬鹿な屁理屈オタクじゃ~ないか(^.^ゞ・・・・・

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