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心より 心を縁と心得て 心に迷う心なりけり [仏法]

今朝は思いがけない梅雨の晴れ間に家事もはかどり、そのテンションのままお出かけしたくなってお友達のお寺まで車を走らせた。
ちょうど法要から帰院したG願さんと駐車場でバッタリと会ってそのまま本堂へ。 
今日はいつものラフなジャージスタイルと違って、黒袈裟の衣装がピッカピカにかっこよかったよ[黒ハート]
G願さん、午後には所用で出かけなければならないとのことで、今日は2,3時間ほどおしゃべりをした後お別れして、私は一旦帰宅してからお買い物に出かけよう… と思っていたところで急に体調が崩れた。 今日の蒸し暑さのせいかな…? 
結局、夕刻まで何もできないまま今日が終わってしまった・・・・・  どうしよう~[たらーっ(汗)]
夜になって徐々に血圧も安定し、元気復活?!  家事の後、明日からの旅の準備を整える。

今日は、G願さんとお話したおかげでお念仏が易く出てきてくださる。 有り難い。

  こ こ ろ よ り  こ こ ろ を 縁 と 心 得 て  こ こ ろ に 迷 う  心 な り け り

これは一遍上人のお言葉で、「私がどんなに尊い想いを心に湧き発てたとしても、私自身(私の心)が迷いの張本人なのだから、そんな迷っている私の心から縁・折に触れて出てきたものなんか偉くも何ともない、何の役にもたたんぞよ」 という意味なのだそうだ。

もう一つ、G願さんから教えていただいたことで、ムギュッと来た言葉!…

  言 葉 あ り き

お経のどこかにある言葉なのだそうだが…。
「‘南無阿弥陀仏’という御言葉になって届けてくださっているのに、どうして心を問題にするの?
「‘南無阿弥陀仏’と称えよ」と言われているのであって、「‘南無阿弥陀仏’の心を理解せよ」とは言っておられない。
心ありきではなく、まず、言葉ありき。  だから、‘南無阿弥陀仏’という御言葉になってくださった。
小さな話になっちゃうかもしれないけれど、例えば、「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉も、真っ黒な心を持った私たちには、到底本心からそう思うことなんて出来ない。
心底 「ありがとう」「ごめんなさい」の心になってから言葉を発せよとは教えられず、まず言葉ありきで、そう言いなさいと教えられてきた。
‘南無阿弥陀仏’だって、「南無阿弥陀仏の心になってから称えよ」とは仰っておられない。
そんな心になれないことくらい仏さまは百も承知の上で、だから‘南無阿弥陀仏’という御言葉になってくださったんだ。
有り難くても、有り難くなくても、まず ‘南無阿弥陀仏’」

「これは僕の自論だけどね!」と、注釈した上で、G願さんが教えてくださったこと、忘れないうちに書き留めておきたかった。
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