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2009年2月8日(日) ネパールの歴史 [アジア]

2607509お釈迦様がお生まれになった場所は、今日 訪問したネパールのルンビニだということはハッキリしている。
しかし、お釈迦様がお育ちになったシャーキャ族のカピラヴァストゥ(カピラ城)については、現在インドとネパールが国を隔てて所在地の言い争いを続けている状態であるが、その昔、お釈迦様在世の時には存在しなかった国境線が、いつ、どのように引かれて分離しのかが知りたくなったので、ネパールの歴史について調べてみることにした。

紀元前6世紀、お釈迦様がお生まれになった頃の南ネパール・ルンビニは、インド文化圏に含まれていたということはわかっているが、時代背景については神話や宗教絡みの口伝によるものが中心となる為、正確なところはわかっていない。
碑文などによって確認されているのは4世紀頃からで、それには北インドからアーリア系民族(ヒンドゥー教)が侵略してきたことによって、いわゆるリッチャヴィ王朝時代が始まり、ヴリシャ・デーヴァ1世が建国者であるとされている。

8世紀になるとリッチャヴィ王朝に代わってタクリ・カーストによる王朝が後を継いだが、王朝は存続されつつも侵略の多い不安定な時代が続いた。
その後、タクリのアリデヴァ王がマッラ王朝を興してカトマンズ盆地一体を統一支配してから15世紀頃まで繁栄は続いたが、三人の王子によってマッラ王朝は次第に分裂していった。
三人の王子は、それぞれ、カトマンズ、バクタブル、パタンに王国を作ってカトマンズ盆地を統治し、三王国並立時代が始まる。
この国内分裂に目をつけたのがゴルカ族で、1741年頃、イスラム勢力の圧迫を受けてインド西部からネパール東部移住してきたゴルカ族(ヒンドゥー教)は、カトマンドゥ盆地を征服する戦いを仕掛けて、27年に及ぶ戦いの末にマッラ王朝を消滅させ、1768年に首都をカトマンズに移してゴルカ王朝を建て、その翌年、第10代ゴルカ王・プリトゥビ・ナラヤンがネパールを統一してシャハ王朝を建てた。

ネパール王国の基礎を確立した初代プラタープ・シンハ・シャー王は、チベットやインドへの侵入を図ったが、1814年にインドへ侵入した際イギリス軍と衝突して、1816年にネパール王国は敗退した。
このグルカ戦争はスゴウリ条約によって終結、この時ネパールはシッキム、クマオン、ガルワールそしてタライ平原の大部分を失って、現在に至る東西の国境線がほぼ決まった。

それから30年(1846年)、イギリスを後ろ盾にしたジャン・バハドゥール将軍が王家を狙ったクーデター(コットの大虐殺)を起こし、将軍はラナ姓を名乗って首相の座に就いて独裁体制を築き上げた。
この時よりネパールは国交を断絶し、第二次世界大戦が終わるまで鎖国が続けられた。
1948年頃よりイギリスの後援を失ったラナ一族に対する暴動が頻発し、ラナ一族はインドの要請によって反体制側との交渉を受け入れ、その結果1951年に再び王政が復活し、トリブヴァン国王がネパールの元首となった。
しかし新しい政府といっても、ラナ一族の出身者と設立されたばかりのネパール議会党のメンバーから構成されたものだった。
しかし、ネパールの長く続いた国境閉鎖は解かれて、鎖国状態からは脱した。

Guideのシャッキアさんが、「ネパール国民は現在も「王政」と「民主政」の狭間で悩み続けている」とガイドしていたが、どっちの体制を歩んでも、根本の所が変わらない限り納得される結果などないと思った。
ネパールの歴史を見ていると、いつの時代も我欲にものすごく正直な人がトップに立っている。
アショーカ王のように、わが身を見つめ直して、わが国の歴史に誇りを持つ人物も、また例えば、インドのマハトマ・ガンジーや、アメリカのマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのように、自分の命と引き代えてでも何とかしようと志す人間が、歴史上に一人もいないというのは、別の意味でスゴイと思った。
「王政」がうまくいかなければ王が悪いと非難して引きずり下ろし、「民主政」もやっぱりイヤだな~となったら、政治家じゃダメだ、王に何とかしてもらおうと…。
この繰り返しの渦中には、「自分が一番かわいい」、「自分さえよければいい」、という人間としての我欲が常に軸となり、頂点に君臨している・・・
だって人間だものとか、それが国民性なんだから、などと、一言で片をつけてしまえばそれまでなのだが・・・

昨日まで見てきたインド(ほんの一部だけど)に比べて、ここネパールの方のがはるかに良い暮らし向きに見えるが、バスの車窓から目にしたネパールの街や人々は、どこか冷たく雑に思えた。

「お釈迦様がお生まれになったのは、我が国ネパールだ!ネパールだ!ネパールだ!」と、ただ意地になって叫ぶばかりではなく、そのお釈迦様がどのようなお方で、どのような教えを説かれたのか。
2,500年以上の時を越えて、今なお説き伝えられる教えを示して下さった、地球上でただ一人の如来様とは、どのようなお方で、どのようなことを教えて下さったのか。
これをよくよく知って、よ~~~く考えて、その上で、「お釈迦様はこのネパールで生まれられたんですよ、ネパールの誇りです!」と、胸を張って語れない限り、「お釈迦様はネパール生まれのネパール育ち」とばかりを連呼する、その資格すらもないのではないかと思った。

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