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2009年2月8日(日) ルンビニ ( マーヤー堂 ・ 沐浴の池 ) [アジア]

ルンビニ村のバス乗降場から、マーヤー・デーヴィ・テンプルへと続く参道手前までは、サイクルリクシャーで移動して、そこからは土産物屋がズラリと立ち並んだ道を100mほど歩く。
ここはインドの仏跡地と違って、しつこい物売りや物もらい等に囲まれないのが心地よくて、逆にこちらの方から土産物屋を覘き込みながら歩いて行くのが楽しかった。

土産屋通りをぬけると視界が開け、フェンスで仕切られた庭園の中にレンガ造りのマーヤー・デーヴィ・テンプルを見ることができる。
そのGateを入って、「これがマーヤー堂か~」と、カシャカシャと写真を撮っていると、S先生が、「確かマーヤー堂の建物は白色だったはずなんだけど…」と言われたが、目の前のマーヤー堂は赤茶色だった。
S先生が言われたとおり、昔はお釈迦様御誕生の像を囲うだけのチャチな小屋のような祠堂だったが、S先生が前回ここを訪れた時には、遺跡の中心部をスッポリと囲うほどのお堂が建てられ、それは白く塗られて、建物上部の塔には金が施されていたそうだ。
しかし、時と共に風化し、白かったマーヤー堂も灰色から黒へと変色して、やがてはその塗装も剥げ落ちて現在のような赤レンガむき出しのお堂となったそうだ。

2600165入り口からマーヤー夫人堂の北側を通り過ぎるとその裏に、高さ7mほどのアショーカ王石柱があった。
これは1896年、ドイツ人考古学者のフューラーが発見した石柱で、「ここに釈迦牟尼世尊生まれたもう」とブラーフミー文字で記されていた事から、釈迦牟尼如来の実在とその御生誕地が実証されたのである。
また石柱には、アショーカ王即位20年の時にここを訪れたことや、お釈迦様の誕生地であるルンビニ村は税金を優遇するなどの言葉が刻まれている。
(右上の写真は、アショーカ石柱に書かれたブラーフミー文字で「釈迦牟尼」と書かれている)

『ラリタ・ヴィスタラ』(『普曜経』・『方広大荘厳経』)などによれば、ある夜、お釈迦様の母・マーヤー(摩耶)夫人は、六本の牙を持つ白い象が右脇から胎内に入ったという夢を見られ、それから間もなくしてお釈迦様をご懐妊された。
やがてマーヤー夫人の出産時期が近づくにつれ、国内(シャーキャ族)には不思議な吉兆の様々が現れたと伝えられる。
臨月を迎えられたヴァイシャーカ月(4月~5月)にマーヤー夫人は、当時の慣わしに従って出産の為に郷里(コーリヤ)のデーヴァダハへと帰省される途中のルンビニー園にて、一面満開に咲き誇る花々に誘われるように立寄られ、輿から降りられた。
そして、マーヤー夫人が、アショーカの樹(北方伝では無憂樹(アショーカ)、南方伝では娑羅双樹(サーラ)と伝えられる)に近寄って手を伸ばされ、その一枝を握られた瞬間、陣痛と共にその立ち姿勢のまま、お釈迦様をご出産なされたと伝えられる。

お釈迦様が誕生された日付には諸説あるが、日本では『太子瑞応本起経』などの記述から(旧暦の)4月8日とし、各地で“花まつり”などが催されている。
花まつりとは、正式には灌仏会(かんぶつえ)といい、ルンビニ園の花園をイメージした花御堂を作って、その中に置いた灌仏桶の中央にお釈迦様の像を安置し、柄杓などで甘茶をかけてお祝いをする行事である。
この甘茶は、お釈迦様が誕生された時に龍が天から飛来して、香湯(ソーマ、アムリタ)をそそいだという故事に基づいてのものである。
私も子供の頃に、お釈迦様のお誕生日を祝っての行事だとは知らないまま、花まつりの日には、ただおやつをもらう為だけに御仏壇のあるご近所の家々を回ったものだった。

私たちMemberはまず、アショーカ王石柱を前にして座をとり、今回の旅行中では最後となるお勤めをした。
この日のお勤めは読経ではなく、仏教詩歌集より「『大経』のうた」をみんなで歌った。
私にとっては初めての唱歌だったが、数日前にMRさんが就寝前のベッドの中で歌って下さったので、そのメロディーを覚えていて難なく歌うことが出来た。
しかしただ、長い長~い歌で、しかも太陽がちょうど頭の真上の時間帯だったので、軽~い苦行のような感じとなっていた…[たらーっ(汗)]

お勤めの後にマーヤー堂へと入ると、お堂は遺跡を囲う為だけの建物で、壁伝いには回廊が張り巡らされていた。
そして建物の中央部に伸びた回廊の先端には、お釈迦様誕生のレリーフと、1995年こマーヤー夫人堂の真下から発見されたというお釈迦様誕生の地であることを示すマーカーストーン(印石)が見学できるようになっていた。
この印石の発見によって、四大聖地であるルンビニ園のマーヤー夫人堂は、世界遺産の認定を受けた。

2600166マーヤー夫人堂を出るとその正面には、マーヤー夫人が沐浴をし、お釈迦様の産湯に使ったというプスカリニ池がある。
どの仏跡の、どの沐浴の池も、周囲をコンクリートで固められて、まったく味気の無いものになっているのが残念である。
そしてこの池の対岸には大きな菩提樹が聳えており、そのたもとにはチベットの僧らが座っていた。

(この写真は、マーヤー堂とプスカリニ池とアショーカ石柱)

Memberと一緒にプスカリニ池の対岸に回って菩提樹の下で写真を撮り合い、そのあと私とMK先生は、その奥に広がる菩提樹の林に中に二人並んで腰を下ろし、心静かに風を感じていた。
日なたと日陰があるように、また静と動があるように、私とMK先生のいるこの場所は、他のMemberのいる場所とはまったく違ったものであるかのように思えた。
「このまましばらく、こ~していたいですね~」と二人とも思ったが、残念ながら集合の[時計]合図がかかった。
あ~ぁ、本当に残念[どんっ(衝撃)]!!!
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