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2009年2月7日(土) シュラーヴァスティ ( マヘート (舎衛城) ) [アジア]

サヘート(祇園精舎)の北隣りに、古代インドの大国・コーサラ国の首都・シュラーヴァスティの舎衛城跡(マヘート遺跡)がある。
南の伝道拠点が王舎城(ラージャグリハ)なら、舎衛城(シュラーヴァスティ)は北の伝道拠点といわれた場所である。

「舎衛城」は、お釈迦様の時代(紀元前5世紀頃)、十六大国の中でもマガダ国と並ぶ二大強国のひとつ、コーサラ国のプラセーナジット王の居城であった。
現在、シュラーヴァスティの「舎衛城」は「マヘート」と呼ばれており、ここラプティ河付近にて、「カッチ・クティ」と「パッキ・クティ」と呼ばれるレンガを積み上げた二つのストゥーパが発掘された。
「カッチ・クティ」は、先ほど見学した祇園精舎をお釈迦様に寄進した人物・スダッタ(須達多)の屋敷跡に建てられたストゥーパであるといわれ、また、「パッキ・クティ」は、凶賊・アングリマーラがお釈迦様に諭されて改悛した場所に建てられたストゥーパであるといわれている。

2588914「カッチ・クティ(スダッタのストゥーパ)」
スダッタ(須達多)は、慈悲の心があつく、自身の財産を寄るべくなき人々に惜しげもなく投じ食などを給していたことで、人々より、「孤独な人(アナータ)に、食物(ピンダ)を支給する、人(ダ)」という意味の、「アナータピンダダ(アナータピンディカ)」という名で呼称されていた。
この「アナータピンディカ」を漢訳にしたものが、「給孤独(きっこどく)」である。
スダッタ(給孤独)長者は、商用で出向いたマガダ国のラージャグリハ(王舎城)にてお釈迦様の教えに触れて以来、仏教に帰依し、自身の居があるコーサラ国・シュラーヴァスティ(舎衛城)に、お釈迦様を迎えるための精舎を建てようと、自身の財産を投じてコーサラ国王の太子・ジェータ(祇陀)の園林に建てた精舎が、「給孤独者と祇陀太子の園林(祇園)」という意味の、「祇園精舎」である。
そのスダッタ(給孤独)長者の屋敷跡に建てられたのが、「カッチ・クティ」であるといわれている。

2588915「パッキ・クティ(アングリマーラのストゥーパ)」
当時、コーサラ国のシュラーヴァスティ(舎衛城)一帯は、バラモン教をはじめ外道の勢力が強く、お釈迦様に反感をもつ人も多かったようである。
そのシュラーヴァスティに、アヒンサというバラモン(司祭階級ブラーフマナ)の青年がいた。
後に、アングリマーラ(指の首飾りをかける者)と呼ばれるようになるその人である。
体力・智慧ともに優れ、容姿も端麗であったというアヒンサ(アングリマーラ)は、パーラカシー村のマニー・ヴァードラというバラモンに師事し、聖典ヴェーダを学んでいた。
そんなアヒンサに恋心を抱いた師の妻がアヒンサを誘惑したのだが、アヒンサはこれを強く拒絶した為、師の妻はアヒンサに拒否されたその腹いせに、自らの衣を破り裂いて悲相を装い、夫(師)に、「弟子のアヒンサに乱暴され辱めを受けた」と偽りを訴えた。
これを聞いた師は激怒し、アヒンサに、「100人の人間を殺して、その指を切り取り鬘(首飾り)にすれば、お前の解脱(修行)は完成する」と教唆した。
誤解を受けたアヒンサだが、師に忠実な彼は師の命令どおりに人々を殺してその指を切り取っていった。
この時よりアヒンサは、アングリマーラ(「アングリ」とは「指」、マーラは「花冠」の意)と呼ばれ、人々から恐れられるようになった。
そして彼はとうとう99人を殺してしまい、あと一人を殺そうと近づいたその老婆は、彼の母親であった。
アヒンサが母親を殺すことをためらったその時、そこへお釈迦様が通りかかられた。

以下は、『鴦崛摩(アングリマーラ)経』に説かれている。

アングリマーラのことを耳にされたお釈迦様は、ある日の午後、周囲の人々が止める中、アングリマーラの住む林へと、一人で入って行かれた。
お釈迦様の姿を目にしたアングリマーラは、その命を狙おうと背後から追いかけたのだが、ところがアングリマーラがどんなに走っても、前を歩くお釈迦様に一向に近づくことが出来なかった。
アングリマーラがお釈迦様に、「沙門よ、立ち止まれ!」と言うと、お釈迦様は、「私は立ち止まっている。 アングリマーラよ、あなたの方が立ち止まりなさい」と言った。
アングリマーラは、お釈迦様から言われたことの意味がわからずに、その理由を尋ねた。
お釈迦様は、「アングリマーラよ、私は全ての生き物に対する害心を捨て、常に立ち止まっているが、そなたは生き物に対する自制の心無く、常に止まることを知らない。 それ故に私は止まり、そなたは止まっていないと言ったのだ」と説いた。
お釈迦様の教えに自らの非を認めたアングリマーラは、即座に武器を捨てて、お釈迦様の足元に敬礼し、出家することを願い出た。
お釈迦様に、比丘になる事を許されたアングリマーラは、その後仏法に帰依した。

そしてお釈迦様のもとで修行に励み、尊敬に値する阿羅漢の一人となったアングリマーラであるが、彼は、過去に犯した罪を償い続けなければならなかったと経には説かれている。
ある日、托鉢に出掛けた尊者アングリマーラに、方々から棒切れ・石などが投げつけられ、尊者アングリマーラは頭から血を流し、鉢は割られ、大衣を引き裂かれて、精舎に戻ってきた。
その姿を見られたお釈迦様は、アングリマーラに、「バラモンよ、あなたは耐えねばならない。 あなたは、自身が造った過去の業の報いを、幾百年も幾千年も地獄で受けねばならない。その報いを、今ここで受けているのだ」と仰った。

「パッキ・クティ」は、このアングリマーラが改悛した場所に建てられたストゥーパであるといわれている。
またアングリマーラのこのお話しは、仏教の廃ったここインドでも、道徳の授業として学校で教えるため、大半のインド人は知っているそうだ。

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