SSブログ

2009年2月6日(金) クシナガラ ( ニルヴァーナ寺院(涅槃堂) ) [アジア]

2580836ニルヴァーナ寺院(涅槃堂)の周囲では、2,3世紀~7世紀頃に建てられた寺院跡が発掘され、イスラム教徒に侵略される12世紀頃までの僧院跡や祠堂跡が遺されており、また園内にはサーラ(沙羅)双樹やアショーカ(無憂)樹、ジャンプー(閻浮)樹などが植えられている。
公園中央の円筒形の白い建物が涅槃堂で、1876年に再建され、仏滅2,500年大祭を記念して1956年にインド政府によって改修・整備された。
その後ろには、パリニルブァーナ・チャイティヤ(涅槃祠堂)と記された印などが発見されたという場所にニルヴァーナ・ストゥーパ(高さ23m)が建てられている。

階段を上がって涅槃堂の中に入ると、室内いっぱいの大きさで、身の丈6.1mのお釈迦様の涅槃像があった。
この涅槃像は5世紀の初めクマラグプタ朝時代に、ハリバラという僧が寄進したもので、1876年にマトゥラーの川畔の砂の中から発見され、それがここクシナガラに運ばれて、1927年にビルマ(ミャンマー)の仏教徒によって涅槃堂が造営されたのだそうだ。

『大般涅槃経(マハーパーリニッバーナ経)』によると、ヒランニャバッティ河畔にあるクシナガラのマッラ(末羅)族の園林ウパヴァッタナに赴かれたお釈迦様はアーナンダに、「私は疲れた、横になりたい。 二本並んだサーラ(沙羅)双樹の間に、北枕に床を用意してくれ」と言われ、アーナンダが整えたその床に、右脇を下につけ、足の上に足を重ねて横臥されたという。
この時、沙羅双樹は時ならぬ花を満開に咲かせてお釈迦様に降り注ぎ、また天からマンダーラヴァ(曼荼羅)華が降り注ぎ、栴檀(白檀)の粉が虚空から降り注ぎ、お釈迦様を供養する為に天から音色や合唱が奏でられたと経は伝える。
横たわられたままの姿勢で最後の説法をされたお釈迦様は、悲しむ弟子たちを前に、
「諸々の現象は移りゆくものである。 怠ることなく精進して完成させよ」
と、最後の言葉をかけられ、禅定に入りながら涅槃に入られたと伝えられる。

ブッダガヤの菩提樹の下で成道されてから、45年間の伝道の旅を終えられたそのお姿が、今、私が目の前にしているお釈迦様なのだ。
涅槃堂の出入り口正面には、既に別のGroupがお勤めをしていたので、私たちはお釈迦様の頭部の前にてお勤めをすることになった。

2580835

お勤め(読経)が始まりしばらくして、予期していなかったことが起きた。
他人事のようだが・・・、  言い知れない悲しみが湧いてきて涙が溢れ出したのだ。
心で考えるよりも先に、無意識の内に込み上げてくる気持ちに戸惑いながらも読経を続けようとするが、声を出せばしゃくり上げて言葉にならないほどの想いに心は占領され、私はMemberの読経の声の中に隠れるようにして泣いた・・・・・
母が逝ったあの時・・・  あの時の気持ちと重なるような思い・・・? 
いや・・・・・  それ以上だったかもしれない・・・・・
なぜ私はこんなにも泣いているのかと、自分でも訳がわからないままに、ただ息を殺しながら涙でかすむ経典の文字を目で追った。
お勤めが終わり、S先生のお説教が始まった頃には、随分気持ちも落ち着いてきたが、涙はまだ止まらなかった。
お釈迦様が涅槃に入られたからといって、それを悲しむ心など、私にあるのだろうか・・・・・
逆な気がした・・・・・  
お釈迦様が逝ってしまわれたことを悲しむ心が半分、
だけど、やっとお釈迦様とめぐり会えたという思いが心があったような気がする。
自分の事ながらよくわからないというのはまったく情けないが…
でも、できることならもう少しここにいて、自分自身と向き合っていたかった。

お勤めが終わった私たちの為に、お釈迦様にかけられていた金色の布を外して下さると言うので、私はMemberに促されるまま座を立って涅槃像にカメラを向けた。
入場した時と何もかわっていない、ただのTravelerの私が、もうそこにあった。

御参りを終えた私たちは涅槃堂の外へ出て、時計回りに僧院跡の遺跡の方へと向かい、Guideのジャマールさんから説明を受けるが、私にはこの時の記憶もメモもない・・・
私はいったい何をして、何を考えていたのだろ~~~[ふらふら]   さ~ぁ・・・・・ [わーい(嬉しい顔)]

お釈迦様がマガダ国の王舎城(ラージャグリハ)を旅立たれた時、やはり故郷のカピラ城を目指された最後の旅だったのだろうか。
ここクシナガラからカピラ城(正確な場所は不明)までは、あと200kmほどの所だという。

何にせよ、仏になってもその肉体というものは無常なんだということを、お釈迦様は身をもってお示し下さったと同時に、お釈迦様が得られた“仏覚”というのは、肉体とは別のものであるというその存在を明らかにして下さったのだと私は思った。
私が私と思っているこの肉体も、所詮一時的な借り物でしかなく、この肉体がある故に煩悩に囚われるのだ。
しかし、だからこそ“我”というもの存在を知ることが出来、それがどんなものであるのか、その値打ちをお聞かせ頂く法と出会えるのだということを教えられたような気がする。
そこでこそ、『人身受け難し今已に受く、仏法聞き難し今已に聞く。この身今上に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってこの身を度せん』の御文が生きてくるのだと思う。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。