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2009年2月5日(木) サールナート ( 初転法輪に至るまで ) [アジア]

そういえば、前日のDinnerの間に紛失したMK先生の荷物だが、Memberの一人が誤って部屋に持ち帰っていたことが判明した。
まったく似ても似つかない他人の荷物を、持ち帰ってもなお気が付かないとは、やはり旅の折り返し地点まで来て、みんな相当に疲れていることがうかがわれた。
しかし、一件落着。 何よりであった。

A.M.9:00 Hotel クラーク・ベナレスを後にまず向かった先は、旅行社直営の土産物店だった。
露天で売っている物品の数十倍の値段が付けられた店内で、再び退屈な時間を過ごす。
買い物は嫌いじゃないし、欲しい物もたっくさんある。
でも、インドで買うからには、もう一つ “0” を減らした額で買いたいと思ってしまう。
然るに、旅行社直営のShopでは何も買えんという結果に終わってしまうのだ・・・・・
257170015分間と時間指定をされて入ったShopであったが、既に30分以上経過し、それでもshopping timeは続いて、やっと出発するかと思ったら、今度は店前で猿回しのPerformanceが始まって、それを見ることになった。
初めPerformerが籠よりコブラを取り出したが、特に芸を見せるわけでもなく、ホレホレと観客にコブラを見せただけに終わった。
次に二匹の猿による芸と寸劇のPerformanceが始まり、初めの内は楽しく見させてもらったが、三歳の子猿のひどく怯えた態度や、よく見ると手や顔のいたる所に生々しい傷跡を見て、とても楽しんで見ることなど出来なくなってしまった。
Performanceの最後に大きい方の猿がチップの回収に観客の元を回って和ませてくれたのが唯一の救いだった。
結局このShopで要した1時間が、今日の終盤に差し障ることになろうとは、この時は誰も知る由もなかった・・・

バスはヴァーラーナスィの街を抜けて20分ほど走り、初転法輪の地・サールナートへと入った。

ブッダガヤの菩提樹のもとで成道をされたお釈迦様の心は大きく揺れていたという。
サンユッタ・ニカーヤ(雑阿含経)によると、お釈迦様には、ご自身が悟られた深遠で、見難く、難解な真理は、煩悩に支配された凡夫に理解させるなど不可能であると解され伝道を躊躇する心と、一方で、憂い苦しむ人々を救う為にこの法を届けたいとする心と、相対する二つの心に迷われたのだとある。
そんなお釈迦様の前にブラフマー(梵天)が現れて、合掌・敬礼した後に、「願わくはこの甘露の門を開け。無垢なる者の覚った法を聞け。(世尊よ、法輪をお説きください。聞けば真理を悟る者もおりましょう)」と、三度繰り返されたのだと言う。
ブラフマー(梵天)の懸命な勧請によって真理を説くことを決意したお釈迦様は、
「甘露(不死)の門は開かれたり。 耳ある者どもはこれを聞け。 己が過去の信は捨てよ。」 と詩節をもって呼びかけられた。
そして、「梵天よ、わたしは人々を害すであろうかと思って、いみじくもこの微妙で巧みな真理を人々には説かなかったのだ」と言われたのだと。
この、悟りを開かれたお釈迦様が、その法を広めることをためらうも、梵天の勧めによって説法を決意されたこのことを、梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と称される。

伝道を決意されたお釈迦様は、まず、出家直後のかつての師・アーラーダー・カーラーマとウッダカ・ラーマ・プッタの両仙人にこの真理を伝えようとしたが、その直前(初転法輪の前夜とも7日前とも伝えられる)に二人とも亡くなられたことを知る。
そこで、ウルヴェーラーの苦行林で共に苦行に励んだ五人の比丘らにこの法を説こうと、彼らが滞在しているヴァーラーナスィの郊外、サールナート(鹿野苑・ろくやおん)へと向かわれたのである。
それが昨日私たちがブッダガヤからバスで移動した、あの250kmの道のりである。
この時代、サールナートは、リシ・パタナと呼ばれており、これは仙人の集るところという意味なのだそうだ。
そのリシ・パタナ(サールナート)にむけてブッダガヤを旅立たれたお釈迦様は、その日の夕刻、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカと出会い、ウパカは ただならぬ雰囲気のお釈迦様を呼び止めて、
「御身は誰によりて出家せるや、誰をか師となせるや、誰の法を信ずるや」
と尋ねると、お釈迦様は、
「我は一切勝者にして、一切智者なり。 一切を捨て離るるが故に、渇愛すでに尽きて、心解脱せり。 自ら独り悟りたれば、誰をか師と称すべき、我には師もなく、等しき者もなし」
と答えられたのだと伝えられる。
無師独覚(師は無く、自身独りで悟った)と聞いたウパカは、「尊者よ、あり得ることかもしれない」と頭を振りつつも、この時はお釈迦様と別れるが、後に仏教に帰依して出家をされたそうである。

お釈迦様が、「凡夫には到底理解不可能な法」と解され、説法・伝道をためらわれたその御法を、「知った・わかった・解明できた」と自負する学士や、「わからん、わからん、何度聞いてもわからん」と言いつつ、聞けばいつかはわかる教えだと自惚れている私自身を恥ずかしく思う一方で、「ど~せわからん教えだもの」と、投げやりに聴聞している私自身が、おぞましくも見えてきた。

しかし、ブッダガヤからサールナートへと一人で向かう長い道中には、ウパカさん以外にもたくさんの人々と出会われたであろうに、お釈迦様は決してそれらの人々には法(真理)をお説きにならなった。
それすらも凡夫の私には計り知れんことだが、この私に仏法が届くまでの長い長~い道のりには、たくさんの人の様々なご苦労があったのだろうな~と、その一端に触れることができたような気がした。

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