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2009年2月2日(月) ラージギル ( 王舎城 ・ 戦車の轍跡 ) [アジア]

2552793そこは、赤茶けた平地と広大に広がる麦畑の中を走ってきた今までの風景とは変わって、小高い岩山が幾重にも連なり、人工的に積み上げられた岩の城壁が長く続く、荒涼とした場所だった。

王舎城(ラージャグリハ)とは、古代インドのマガダ国の首都の名である。
お釈迦様の在世の時代には、マガダ国最大の都として栄え、お釈迦様が最も長く滞在した地であるとされている。
普段は静かだという南門付近も、今日は祭りを祝う若者らで賑わっていて、その治安の悪さにTourConductorとGuideの二人は、今日の見学を取り止めにしようかと相談していたが、結果、短時間での見学が許可された。
バスを降り、むき出しの岩山のその谷間に延びる車道沿いを南門付近に向かって歩いていく。
『観無量寿経』に説かれた〔王舎城の悲劇〕の舞台となったこの地も、今では南門から山頂へと延びたレンガ作りの城壁がわずかに残っているのみとなってしまったが、その赤茶けた岩山を夕日が照らして、まるで当時の悲劇を物語るかのように、ウダヤの丘全体が血の色に染まっているようにさえ見えた。
道向の岩山ソーナの丘を少し上ってmemberと共に写真を撮り合っていると、TourConductorから、急いでバスに戻るように指示された。
どうやら祭りに乗じた酔っ払いにmemberの誰かがからまれたらしい。
それに慌てたのか、同室のMRさんが岩場で足を滑らせて、お尻からコケテしまったそうで、MRさんはインド初日から帰国までの十日間、この時の打撲と腰痛に悩まされ続けることになった。
これをS先生は、『新・王舎城の悲劇』と命名された。

王舎城は八大聖地の一つに数えられる。
29歳の12月8日夜半に、王宮を抜け出して出家を果たされたお釈迦様は、バッカバ仙人、アーラーラ・カーラーマ仙人、ウッダカラーマ・プッタ仙人の元を次々に訪れるが、そのどの境地にも飽き足りず、お釈迦様は更に高い悟りを目指された。
一説によると、その類稀なお釈迦様の威光に、マガダ国のビンビサーラ(頻婆娑羅)王は、我国の太子になってくれるようにと要請したが、その願いは叶わず、その代わりに、「もし、お釈迦様が悟りを得られた時には、まず私を導いて下さい」というビンビサーラ王との約束を果たすために、仏と成られたお釈迦様はこの地を訪れたのだと伝えられている。

マガタ国の都は元々ギリヴラジャ(旧王舎城)であったが、その王宮が炎上したため、ビンビサーラ王がラージャグリハ(新王舎城)に遷都したと伝えられる。
また別説では、父王であるビンビサーラ王を幽閉した息子、アジャータシャトル(阿闍世)王によって、旧都より新都に遷都したとも伝えられる。
いずれにしても、マガダ国の王舎城(ラージャグリハ)は、紀元前3世紀のアショカ王時代に、マガタ国王ウダインによってパトナに遷都されるまで、栄えた都市だったようだ。

2552800南門より北へ数百メートル行った旧王舎城の東門付近に、マガタ国軍が、馬や象を武装させて往来したであろう岩盤の道に、戦車の轍跡が今もくっきりと残っていた。
紀元前4世紀頃、マガタ国はインドでも最も良質の鉄や 銅を産出し、財政的に恵まれていたことから巨大な軍事力を誇った大国となり、この轍跡は、当時この地が世界 最先端の高度な文明を誇っていたとされる貴重な資料となっている。

17:40 Hotelに着いた頃には、日もすっかり暮れていた。
本日の宿は、インド法華ホテルである。
残念なことに、インドに着い日に早々、完全なる和定食のDinnerであった。
味は悪くないが、外国に来た時くらいは、その国の料理をいただきたいと思う・・・・・

夕食の後は、Hotelの共同浴場にみな一緒に入浴した。(もちろん女性のみ)
こちらは、外国に来たのに裸の付き合いが出来るってのもいいな~ぁと思った。
残念ながら同室のMRさんは、新・王舎城の悲劇の為、腰痛を患って部屋でシャワーを浴びるにとどまり、裸の付き合いはお預けとなった。

夜、S先生が私たちの部屋のドアをノックされた。
お風呂場に運動靴が置き忘れてあったとのことで、持ち主を探して各部屋を回られていたのだか、ドアを開けてS先生と二、三言の会話を交わした後、S先生の視線に先がフッと気になって見てみると・・・・・
!!! パジャマのズボンを履き忘れたまま応対をしている自分に気付いた!
キャ~ン! やっちゃった~! [がく~(落胆した顔)] と心の中で叫べど、時既に遅し・・・・・ [ふらふら]
MRさんに大笑いされたお陰で、恥ずかしさも吹っ飛んだが、以後気をつけねば!

この夜、MRさんとは深夜過ぎまで仏法の話をした。
たった一つ、「今まで、地獄行きのタネしか造ってこなかった私」 ということを聞かせてもらったことだけは覚えているが、後は、不思議な映像に頭が支配されていた為、何を聞かせてもらったのか、ほとんど覚えていない。
はてしなく続く緑の田園の奥に、三角の小さな家のようなものが連なっている風景。
また、だだっ広い草原の彼方にそびえ立つ赤茶けた山の景色。
また、乾燥した草の茂みが絡み合う川の跡。
また、赤茶けた大地の所々に生い茂る緑の草地と、形よく立ち並ぶパームツリー。
いくつもの情景が、次から次へと、まるで実際に目で見ているかのように鮮明に頭の中で繰り広げられているから、MRさんの話しを聞いている暇がなく、思わずMRさん、「今、すごい勢いで目の前に風景が現れています」と告白した。
きっと、頭のおかしな子とか思われるだろうな~と思ったが、MRさんは、「ふ~ん、そうなんや。それは今までに見たことのある風景?」と聞いて来た。
私は、「見たことの無い風景だけど、懐かしい感じがする」と答えた。
MRさんはそれ以上何も言わなかった。 そして寝息に変わった。
私は、「インドへ来たんだ・・・・・・」 という湧き上がる思いをかみしめながら、眠りにつくまで、次々と頭に描き出される風景を楽しみながら眠りへと落ちていった。

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