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今、まさに堕ちている私 [心]

前日記述した夢の話しを、御同行の一人に報告した。
彼女は優しい言葉で、端的に私の行く道を示して下さる善知識であり、私の憧れの人である。
その御同行から頂いた言葉が、私の心に暖かく突き刺さった。

阿弥陀様は24時間、私に付きっきりで、私と一緒に地獄の果てまでもついて来て下さるという。
阿弥陀様は十劫の昔から、ずっとずっと私一人にめがけて、呼び尽め、叫び尽め。
私が阿弥陀様のことを思う時も、思わん時も、寝ている間でも、ずっとず~っと呼び続けて下さっているというに、私は「知らん」とばかりに全く気付かない。
仏様の目から見た私は、今まさに地獄へと真っ逆さまに堕ち続けているとのご意見。
この世の命、次の一息が吸えずば(吐けずば)、立待ちに地獄の底へと到達する。
私は私が造った業で、いつ、どんな死に方をするかわからないけど、そうなってからでは、もう手遅れなのだ。
だから、「今」「ここで」「私が」聞かせて頂くのだ、自分の口から出てくださる「なまんだぶつ」を!
どうしたらも、こうしたらも、言っておる場合ではない!
どうにも出来ない、何にも出来ない、ただ堕ちてゆくしかない私なのだから。

そんな私の口を通して「なまんだぶつ」が飛び出て下さったんじゃないか!
乾いたお念仏、味気の無いお念仏、心の伴わないお念仏、、、、、
そんなのは全部自分の思い。
お念仏に「いいお念仏」も「悪いお念仏」もない!
「南無阿弥陀仏」のお念仏は、阿弥陀様のものだもの、この私が良し・悪しと沙汰をするものでは決してない!
私がどう思おうと、この私の口から飛び出して下さったお念仏を、この私の耳で聞かせて頂ける身に、既になっているじゃない。
そして、この事実を何よりも阿弥陀様が一番喜んで下さっているじゃないか!
私が満足する為のお念仏じゃない。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀様の願いであり、阿弥陀様の御心そのものなのだから。
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